「牡丹」の家紋の解説 | |
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■ 「牡丹」の家紋の解説: 「牡丹」の家紋図
# 牡丹紋(ぼたんもん): 大きく、華やかな花を咲かせるボタンは、「百花の王」と言われ、富貴の花として愛された。「万葉集」には登場しないことから、平安時代以降に伝来したと思われている。繁栄をきわめた藤原氏が使用した家紋で、藤原氏の嫡流の五摂家では近衛家、鷹司家が家紋とした。後に藤紋を家紋とした九条家も、当初は牡丹紋をしようした。他に、公家では高倉家、高丘家、難波家で牡丹紋が使用され、武家では摂津国の多田源氏の一族に多く見られる。江戸時代の大名家では、津軽家、伊達家、島津家、鍋島家、上野国の吉井藩の鷹司松平家が使用し、幕臣では約30家で使用された。【出典】
# 津軽家: 津軽牡丹紋。 【日本人なら知っておきたい 家紋と名家のいわれ 大野敏明 実業之日本社】
# 牡丹紋 近衛家。藤原氏頼通流の鷹司家。花山院家忠流の難波家。【出典】
# 伊達綱村は関白近衛基煕の娘を結婚して、近衛家の家紋の牡丹紋を賜与された。【出典】
# 島津家は、もとは近衛家の荘園の庄司だったため、島津家も近衛家から牡丹紋を賜与された。【出典】
# 牡丹紋【出典】
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中国では百花の王として、もっとも高貴な植物とされた。八世紀頃には日本に伝来し、貴族の筆頭である藤原氏の家紋として使用された。貴族の衣服や牛車につける文様として使用された。摂関家の近衛家、鷹司家では家紋になった。武家では摂津国の多田源氏に多く見られる。
・ 大割り牡丹紋、落ち牡丹紋、葉付き牡丹紋、近衛牡丹紋、上野牡丹紋、蟹牡丹紋、鷹司牡丹紋、鹿島牡丹紋、唐草牡丹菱紋、抱き牡丹紋。
# 東本願寺
# 牡丹紋(ぼたんもん): 牡丹について、「大和本草(やまとほんぞう)」では、「中国では花王と称し、花の富貴なる者とす」という。牡丹は非常に高貴な花として、もてはやされた。それが、聖武天皇のときに中国から伝来し、宮中でも盛んに賞された。近衛家、鷹司家、難波家、島津家、伊達家、津軽家、鍋島家、中川家などに見られる。【出典】
# 牡丹紋: 百花の王とされる牡丹は、中国よりもたらされた。この紋は、藤原氏本流や近衛家が使用したことで武家憧れの紋になり、津軽家・鍋島家・伊達家・島津家などが許された。【出典】
【家紋の図柄】