「宗」の名字の由来
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■ 宗(そう)

【2021/02/09:改編】

# 2375位

# 秦氏惟宗流などに見られる。

# 代表家紋: 「隅立て四つ目結紋

# 宗氏: 隅立て四つ目結紋。宗は惟宗からの派生で、一説には「一文字姓の多い朝鮮と貿易をしやすいように」改めたという。【あなたの起源を読み解く 名字の世界 インデックス編集部 イースト新書Q】

# 対馬国を支配していた守護大名の家系で、渡来人秦氏の流れのくむ惟宗氏の支流。

# 名字の由来の多くが地名によるものであるが、「宗」は「惟宗」から派生している。

# 大分県:365位、福岡県:431位、佐賀県:666位、長崎県:676位など。

# 宗家(そうけ): 家紋「丸に四つ目結紋

・ 対馬国下県郡国府(長崎県対馬市)を本拠地とした。

・ 対馬国の在庁官人惟宗氏末裔で、元寇のおりに一族のほとんどが討たれた。関ヶ原の戦いでは西軍に属したが、本領を安堵されて、江戸時代には対馬藩主。【戦国大名「御家」系譜事典 宝島社 監修:森岡浩】

# 長崎県の宗家: 対馬藩主桓武平氏の出を称すが、対馬の在庁官人惟宗氏の出という。鎌倉時代に少弐氏の命で対馬の在庁官人の阿比留氏を滅ぼし、対馬の守護代となった。室町時代に対馬国守護となった。 

・ 鎌倉時代から江戸時代末期まで一貫して対馬を支配した領主。桓武平氏で平知盛の子の知宗の子孫を称しているが、実際は対馬の在庁官人惟宗氏の出で、「惟宗」を略して「宗」にしたと言われる。戦国時代、義智は豊臣秀吉の九州征伐の際に秀吉に降って本領を安堵され、関ヶ原の戦いでも西軍に属したが、安堵されて朝鮮との国交回復に努めた。義智の子の義成は家老の柳川調興と不和になり、調興が国書改作を幕府に訴えたため危機に陥ったものの、幕府は対馬藩で外交を担当していた柳川調興を津軽に流すことで決着した。江戸時代の石高は実質3万石弱だったが10万石格の大名として遇された。明治時代には伯爵。【出典

# マラソンの宗兄弟は大分県臼杵市の出身。

# 宗と言えば、釣りバカ日誌で出てくる会社の東大出の後輩は宗じゃなかったかな?

# 対馬藩

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