佐賀県内の「千葉」の名字の詳細 | |
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■ 千葉(ちば): 佐賀県の千葉家
# 佐賀県の千葉家: 佐賀藩の重臣。千葉常胤が平氏の領地だった肥前国小城郡晴気保(佐賀県小城市)を賜ったのを祖とする。
・ 桓武平氏の千葉氏の一族。鎌倉時代の元寇のときに肥前に転じ、戦国時代には龍造寺家に従い、江戸時代には佐賀藩士。【出典】
# 肥前国の戦国大名。桓武平氏の出。千葉常胤が平氏の没後に、官領の肥前国小城郡晴気保(佐賀県小城市小城町)を賜ったのが祖。元寇の際には、千葉頼胤が下向し、子の宗胤がそのまま土着した。室町時代には千葉城に拠った小城千葉氏(東千葉家)と、晴気城に拠った晴気千葉氏(西千葉家)の二流に分かれた。永禄2年(1559年)に少弐時尚を擁した晴気城主の千葉胤頼が、龍造寺隆信の支援を得た牛尾城(佐賀県小城市小城町牛尾)城主の千葉胤連に敗れて落城、胤頼は討ち死にして少弐氏は滅亡した。天文年間頃に両千葉氏は和睦し、少弐冬尚の弟の胤頼が東千葉氏を、鍋島直茂が西千葉氏を継いだが、やがて決裂した。東千葉家は龍造寺氏に敗れ、西千葉家は龍造寺氏に属した。その後西千葉家は鍋島氏に仕え、江戸時代には佐賀藩の重臣をつとめた。【出典】
# 肥前の千葉氏は千葉常胤が肥前国小城郡晴気保(佐賀県小城市小城町)を与えられたのに由来する。戦国時代には竜造寺家に従い、江戸時代には龍造寺家の後をうけた鍋島家を藩主とする佐賀藩士となった。
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