岡山県内の「木下」の名字の詳細 | |
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■ 木下(きのした): 岡山県の木下家
# 岡山県の木下家: 北の政所(お寧)の兄の木下家定は本能寺の変の際に北の政所の護衛と称して日和見をしたので姫路から足守に所領替えとなった。家定の長男の勝俊は小浜2万5千石を領していたが、関ヶ原の戦いの後領地没収。二男の利房は高浜城主であったが西軍に属して除封の後足守藩主2万5千石。
・ 備中足守藩(岡山市)藩主。桓武平氏の出を称す。播磨国の出で、豊臣秀吉の妻の高台院(お禰)の実家として知られる。杉原氏を称していた。家定の時に豊臣秀吉に仕え、先祖の名字に復して木下氏を称した。後に、播磨姫路で2万5000石を領したが、利房は関ヶ原の合戦で西軍に属したため所領を没収された。その後、1614年の大坂冬の陣に参陣、翌年の大坂夏の陣では京都で秀吉の正室である高台院を守護したことから、同年に徳川秀忠から父の遺領である備中国賀陽・上房両郡のうち2万5000石が与えられ、1637年に跡を継いだ利当のときに正式に足守藩として立藩した。明治時代には子爵。【出典】
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