静岡県内の「水野」の名字の詳細 | |
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■ 水野(みずの): 静岡県の水野家
# 静岡県の水野家: 沼津藩主。水野忠清が1601年に上野小幡藩1万石に入封したのが祖。1632年に三河吉田9万石に加転、1642年には信濃松本7万石に転じた。1725年に忠恒が江戸城松の廊下で長府藩主の毛利元平に斬りつけるという刃傷事件をおこして断絶した。 その後、1742年に叔父の忠毅が信濃国佐久郡で7000石を与えられて旗本として再興。その子の忠友は1768年に若年寄となって6000石を加増され、碧海郡大浜に陣屋を置いて三河大浜藩1万3000石を立藩した。忠友はさらに側用人となり、1777年に駿河沼津2万石に転じた。後に3万石。1868年に徳川家達が駿河府中に転じた際に上総菊間5万4000石に転封となった。明治時代には子爵。【出典】
# 静岡県内では、全域に見られ、西部ほど多く、浜岡町では6位。【出典】
# 尾張国春日井郡発祥の水野氏は、清和源氏の浦野氏族で、源満政の六世孫の浦野四郎重遠の子の、二郎三郎重房が尾張国春日井郡水野村に転じて水野氏を称した。【出典】
# 北条家の家臣の水野治郎右衛門忠佐は駿東郡長久保城(長泉町)城主で、1558年に討ち死にしたが、下右田村(沼津市)の耕雲寺を開基した。【出典】
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