静岡県内の「かわい」の名字の詳細
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■ 河合、河井、川合、川居(かわい、かあい)

# 河合が最多で、静岡県内では86位。舞阪町では2位。川合姓は静岡県内では175位、豊岡町では5位。川井姓は静岡県内では600位以下。河井姓は少ない。【出典

# 奈良時代、遠江国山名郡川合(袋井市)に、丈部川相(はせつかべかわあい)や遠江権少目川合宿禰良種があるが、県下の川(河)井姓には川相の末裔藤原氏庶流清和源氏流があるという。藤原氏流川井、河井氏の祖は中納言藤原宗忠で、宗忠は父の通憲が平治の乱に敗れ遠江国に流されて、その子の兵衛尉宗久は源頼朝に仕え、川井(川合)村(袋井市)に住んで、川井氏を称した。一説では宗忠は川井村に代々住んだ丈部川相の末裔とも言う。宗久の後裔の川井丹後守忠俊、丹後守忠吉父子は今川氏に仕え、忠吉の孫の久定は主君の今川義元桶狭間の合戦で討ち死にしてから浪人となり、父祖の地の、川合村に住んだがのちに徳川家康に仕えて遠江国の代官になった。【出典

# 伊豆の河合氏は宝亀年間に、関東暦師として京都から遣わされて三島に住んで、三島大社で今も発行している三嶋暦を作ってきた暦版元の家系という。【出典

# 江戸時代初期に、遠江国榛原郡の代官になった川井助左衛門や、元禄年間のころに駿河国志太郡島田の豊運庵を開基した河合市太夫もいた。【出典

# この四姓は混用しやすく、上張村(掛川市)の河合氏のように、本家が河井氏を称し、分家は河合、川合氏を称したという伝承もある。【出典】 

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