静岡県内の「山本」の名字の詳細
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■ 県内3位・5位: 山本(やまもと)

# 静岡県の山本家: 伊豆国賀茂郡の国人で、近江国から当地に移り住んだという。豊臣秀吉の小田原侵攻の際に落城し、その後は結城秀康に仕えた。【出典

# 静岡県内では、全域に見られる。10位以内の市町村も多く、特に湖西市、西伊豆町、南伊豆町では1〜2位。【出典

# 山本は「山の麓」という意味で、各地に地名があり、その系統も極めて多い。【出典

# 源満政の後裔の吉野冠者重季の子孫の吉野浄雲入道貞倫は、南朝方に属し1337年に富士郡山本村(富士宮市)に住んで、その二男の弾正貞久が山本氏を称して今川氏に仕えたという。貞久の孫の源貞幸は三河国牛窪の牧野右馬介の家令大林勘左衛門の養子になって勘助晴幸と改名してのちに武田氏の軍師になった。勘助の出自については異説があり、三河国八名郡加茂村の山本藤四郎の三男に生まれ、大林勘左衛門の養子になり、大林勘介貞幸と改め、後に山本勘助となって武田信玄に仕えたともいう。【出典

# 富士郡山本村発祥の山本氏は度会姓で、初代を宗方といい、永禄年間に山本左衛門佐義晴は今川義元に仕えて藁科村(静岡市)を領し、その子の忠兵衛正義は徳川家康に仕えた。【出典

# 伊豆国の山本氏は近江国浅井郡山本村発祥の清和源氏流の山本氏族といい、遠江守義定の後裔の山本玄通が1084年に来住したとも、また義定の後胤の山本左衛門佐政村が子浦(南伊豆町)に住んだともいう。【出典

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