福井県内の「武田」の名字の詳細
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■ 武田(たけだ): 福井県の武田家 

# 福井県の武田家: 武田信賢が15世紀半ばに若狭国守護となった。織田信長に従ったが本能寺の変明智光秀に呼応し滅亡した。【出典

# 若狭国戦国大名。安芸武田氏の信繁の子の信栄が、永享12年(1440年)に将軍の足利義教の命で一色義貫を討って、その遺領のうち若狭守護職を得たのが祖。信栄は翌年に亡くなり、弟の信賢が跡を継いで若狭武田氏となった。信賢は青井山城(福井県小浜市)を築いて拠って、一色氏の浪人や土一揆の蜂起にあいながらも領国経営を行った。応仁の乱では東軍に属して活躍し、一時丹後守護職をもつとめた。また、国信・元信は相伴衆になるなど、幕府内で勢力を持った。元信は永正14年(1517年)には丹後国加佐郡を手に入れて、若狭武田氏の全盛期を迎えた。大永7年(1527年)に元光は細川高国の要請によって京で丹波勢と戦って大敗、天文7年(1538年)には家督相続をめぐる内訌もおきたため急速に没落した。永禄11年(1568年)に元明が若狭に侵攻してきた越前朝倉氏に降って若狭を離れ、大名としての武田氏は滅亡した。天正元年(1573年)の朝倉氏の滅亡で、元明は若狭に戻ったが、翌年の本能寺の変後に明智光秀に呼応したため、近江国丹羽長秀に討たれた。【出典

 

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