栃木県内の「芦野」の名字の詳細 | |
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■ 芦野(あしの): 栃木県の芦野家
# 栃木県の芦野家: 下野国那須郡芦野郷(栃木県那須郡那須町芦野)の出。藤原北家で那須七党。那須資忠の四男の資方を祖とする。江戸時代には旗本。
・ 交代寄合。藤原北家の出。下野国那須郡芦野郷(栃木県那須町)の戦国大名の末裔。那須資忠の四男の資方が祖。1590年に盛泰は豊臣秀吉の小田原攻めに参陣して本領を安堵された。1600年に政泰の時に徳川家康に仕えて旗本となり、1602年に2700石に加増。その子の資泰の時に交代寄合となり、資俊の時に新田あわせて3010石となった。【出典】
# 下野国の戦国大名。下野国那須郡芦野郷(栃木県那須郡那須町芦野)発祥。藤原北家の出で、吾妻鏡の建長8年(1256年)の条にみえる「葦野地頭」が芦野氏とみられ、一般的には芦野氏の祖と言われる那須資忠の四男の資方が、この芦野氏の名跡を継いだものと思われる。以後、芦名氏は那須氏の一族になった。初めは芦野城に拠り、応永年間に南西にある館山城に転じた。資興は太田道灌に従い、資豊は那須高資に従った。天正18年(1590年)に盛泰は豊臣秀吉の小田原攻めに参陣して本領を安堵された。【出典】
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