茨城県内の「額田」の名字の詳細 | |
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■ 額田(ぬかだ、ぬかた): 茨城県の額田(ぬかた)家
# 茨城県の額田(ぬかた)家: 常陸国那珂郡額田(茨城県那珂市額田)をルーツとする。清和源氏の佐竹氏流。佐竹義重の二男の義直が額田氏を称した。
# 額田(ぬかだ): 江戸氏の庶流。佐竹氏の庶流の額田氏の滅亡後、佐竹義憲が小野崎通重に額田城を与えて額田氏の名跡を継がせた。通重に子がいなかったので、江戸通房の二男の通栄が継いで、以後、江戸氏の庶流の額田氏として代々佐竹氏に仕えた。天正16年(1588年)に江戸氏の家老の神生右衛門が江戸氏に叛いて大部城(水戸市)から逃れて額田氏を頼った際に、照通は神生氏を保護して江戸氏・佐竹氏と対立した。以後、照通は伊達氏に通じたが、天正19年に野上河原合戦で佐竹義宣に敗れて落城、照通は陸奥国に逃れた。慶長7年(1602年)に佐竹氏の出羽国への転封で常陸国に戻り、江戸時代には水戸藩士。【出典】
# 額田(ぬかた): 常陸国の佐竹氏の庶流。常陸国那珂郡額田(茨城県那珂市額田)発祥。佐竹義重の二男の義直が額田氏を称した。額田城に拠って佐竹氏に仕えていたが、1423年に佐竹氏の内紛で額田義亮が討たれ、一旦は滅亡した。その後、小野崎通重が額田城を与えられて額田氏の名跡を継いだ。通重の跡は江戸通房の二男の通栄が継ぎ、代々佐竹氏に仕えた。1591年に照重のときに佐竹義宣に討たれて落城、照重は陸奥国に逃れた。佐竹氏の出羽国(久保田・秋田)への転封で、常陸国に戻り、江戸時代には水戸藩士。【出典】
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