青森県内の「南部」の名字の詳細
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■ 南部(なんぶ): 青森県の南部家

# 青森県の南部家: 七戸八戸藩主。盛岡の南部家の一族で江戸時代に分知した。【出典】 

・ 七戸藩主。盛岡藩主の南部家の分家。1694年に南部政信が兄の行信から5000石を分知されて一家を興し、旗本となって寄合となったのが祖。1819年に6000石を加増されて1万1000石となり、七戸藩を立藩した。明治時代には子爵。【出典

・ 八戸藩主。盛岡藩主南部家の分家。1694年南部藩の初代藩主の利直の七男の直房は、分家して中里氏を称していたが、1664年に父の遺領のうち2万石を分知され、現在の岩手県と青森県にまたがる八戸藩を立藩した。明治時代には子爵。【出典

# 八戸南部氏: 南部家の初代の光行の六男の波木井(はきい)実長の子孫。建武元年(1334年)の師行のときに陸奥国糠部郡に下向、根城(青森県八戸市)を築いた。以来、一貫して南朝に属して活躍、八戸南部氏または根城南部氏といわれた。室町時代には岩手郡や閉伊郡、出羽国仙北郡にまで勢力を広げ、天文年間には津軽郡にも進出した。天正18年(1590年)の豊臣秀吉の奥州仕置を機に正式に三戸南部氏の支配下に入った。寛永4年(1627年)に直義のときに八戸から遠野に転じ、以後は遠野城主として南部藩の重臣となった。【出典

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