福島正則
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■ 福島正則(ふくしままさのり)

・ 「福島」の名字の由来

# 福島正則の父は福島市兵衛正信、母は豊臣秀吉の伯母の木下氏と伝えられる。「賤ヶ岳の七本槍」の一人。天正13年に、伊予国今治10万石、1595年に尾張国清洲24万石。関ヶ原の戦いでは東軍に属し、安芸・備後49万8千石を与えられた。その後、広島城の無届け?修復事件で領地を没収。信濃国川中島に転じた。

# 福島正則の母は豊臣秀吉の母の大政所の姉妹または従姉妹といわれる。比較的、年長だったので、秀吉が近江国の長浜城主になったあとに呼び寄せた親戚の少年達のリーダー的存在だった。九州攻めのあとに、伊予国今治11万石、豊臣秀次の追放後には尾張国の清洲城主になった。関ヶ原の合戦では東軍に属して、戦後は広島城主になり、旧毛利氏の領地であった安芸国備後国で49万8000石を領した。正則は一貫して、豊臣秀頼に忠実だったが、大坂の陣では「三年遅すぎ、三年早すぎる」と悔しがり、江戸で軟禁されて、手も足も出なかった。それでも、大坂にあった蔵屋敷の米を豊臣方が確保するにまかせ、家老の子を大坂城に送り込もうとした。元和5年(1619年)に、将軍側近の本多忠純に相談の上だったのに、城の無断修理をとがめられて改易された。信濃国の川中島で5万石だけ残されたが、それも、正則の死の際に、検視をうけずに火葬したとして没収された。【出典

# 福島正則(ふくしままさのり)【出典

・ 1561−1624年。享年64歳(病死)。

・ 出身地: 尾張国

・ 肩書き: 武将。

・ 家族: 父:福島正信。

・ 家紋: 福島沢瀉紋

・ 福島正則は、母が羽柴秀吉の叔母にあたるため、幼少期より秀吉に仕えていた。秀吉のもとで戦功を成し、朝鮮出兵でも渡海して軍功をあげた。しかし、これをきっかけに石田三成との関係が悪化して、関ヶ原の合戦では東軍についた。その後、安芸国広島藩50万石を領したが、その後広島城の無断改築の咎で減俸された。


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