「かなさし」の名字の由来
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■ 金刺(かなさし)

【2023/02/25:改編】

# 「体族」の名字

# 「姓」を用いた名字

# 全国の半数以上は静岡県に見られ、富士市や伊豆市に多い。

# 信濃国の豪族で、金刺舎人(信濃国造)の子孫、信濃国・駿河国・遠江国に広がった。信濃国の諏訪党宗家の諏訪盛重は金刺為継の子と言われ、両系交錯する。代表家紋は「梶の葉紋」。【出典】【家紋のデータ】 

# 信濃国に古代から栄えた豪族崇神天皇の時代に、建五百建足命が科野(信濃)国の国造に任ぜられ、小県(ちいさがた)を本拠に国造を世襲した。欽明天皇の時代に金刺宮に舎人を出して金刺舎人氏を称し、のちに金刺氏となった。平安時代には諏訪や伊那で多くの有力者を出したが、その後は諏訪神社神職となり、南北朝時代以降は諏訪下社の大祝を務めた。1518年に金刺昌春が上社の諏訪頼満に敗れて滅亡した。現在は静岡県に多く見られる。【出典

# 「金刺」から出た名字: 「高木

# 信濃国諏訪郡の諏訪大社下社大祝(おおはふり)諏訪(金刺)氏の金刺昌春は、諏訪大社上社大祝・惣領の諏訪頼満との抗争に敗れ、永正15年(1518年)に本領を逐われた。昌春は、大永5年(1525年)に甲府を訪れ、武田信玄の父の信虎の庇護を受けることに成功し、甲府に屋敷を拝領した。信虎は、金刺昌春の諏訪帰還を名目に、享禄元年(1528年)に諏訪侵攻を開始したが、境川合戦で敗退した。そのため昌春の時代には、帰還は実現しなかったが、天文11年に武田信玄の諏訪侵攻が成功したことから、下諏訪への復帰が実現し、昌春の息子の豊保・善政兄弟が諏訪大社下社大祝と竹居祝に就任した。【出典

# 「金」のつく名字

■ 金指(かなさし) 

【2022/07/19:改編】

# 「体族」の名字

# 静岡県の名字。金刺氏の子孫とも、清和源氏の出ともいう。金刺左馬頭は源義家に従った。現在は静岡県の伊豆地方に多い。【出典

# 静岡県の名字。長野県の諏訪の金刺氏の子孫とも清和源氏の出とも言われる。金指左馬頭は源義家に従った。戦国時代には北条氏の家臣に金指家があった。現在も伊豆地方に多く見られる。【出典

# 「金」のつく名字

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