舎人氏
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■ 舎人氏: 「舎人」の名字の由来

# 舎人(とねり)氏

・ 畿内および西国の国造的豪族の後裔。氏名は令制以前に天皇・皇族に近侍し護衛の任を務めた舎人という職名に由来する。舎人にはいくつかの類型があるが。舎人氏が採用されたのは朝廷機構の官司制的整備が進んだ推古朝前後に設置された舎人と考えられている。この舎人は、名代として天皇・皇族に従属した六世紀代の舎人とは異なり、朝廷の官司に所属した。舎人氏には舎人造・舎人臣・舎人・舎人部を氏姓とする者があった。このうち、舎人造氏は、一族の舎人造糠虫が天武天皇十年(681年)に連姓を賜っている。これら相互の関係を示す史料はないが、帯びている姓からすると、舎人造は中央豪族で上番した舎人の統率に当たり、舎人臣・舎人は国造的豪族で地方に在住し、舎人部はこれら地方豪族の資養に当たったと考えられる。祖先伝承については、「先代旧事本紀」の天神本紀に、舎人造氏の祖が、物部氏の祖の饒速日命の降臨に際して五部造の一つとして天物部を率いて従ったとあり、また新撰姓氏録では河内国の舎人氏の祖が百済の利加志貴王であったと伝えている。舎人氏の氏人には、死後、壬申の乱での功で大錦上を追贈された前掲の舎人造糠虫のほかに、万葉集天智天皇の殯宮のときに詠んだ挽歌が収められている舎人吉年などがいる。舎人氏は越前国・河内国・出雲国・伯耆国・周防国・讃岐国・筑前国などおもに西国に分布しており、この氏族が西国豪族の出身であることがわかる。六世紀代の舎人が東国の国造的豪族を採用したことを考え合わせると、舎人氏が採用された舎人が置かれた推古朝前後に舎人制度は全国的なものに拡充したといえる。【出典】  

# 「舎人」の地名

# 「舎人」とは

姓:真人・朝臣・宿禰・忌寸・道師・臣・連。直・臣・使主・君・公などの詳細

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