長野県内の諸藩
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■ 飯田藩(いいだはん): 長野県飯田市

・ 「飯田」の地名

・ 堀家1万7千石・譜代大名

# 信濃国。飯田城。堀家。外様大名。2万石。慶長5年に立藩。控間:柳間格:城主位階:従四位下。上屋敷:台東区浅草橋。関ヶ原の合戦の後に、小笠原秀政が入封して立藩。その後は、天領を経て、脇坂家が藩主を務め、寛文12年(1672年)に堀親昌が2万石に入封して、以後廃藩置県まで堀家が続いた。【出典

# 飯田藩士: 潮田家

■ 飯山藩(いいやまはん): 長野県飯山市

■ 岩村田藩(いわむらたはん): 長野県佐久市

■ 上田藩(うえだはん): 長野県上田市

■ 奥仁科藩(おくにしなはん)

・ 信濃国石川家。外様大名。1万5000石。文禄2年(1593年)に松本藩主の石川康長が弟の康勝に分知して立藩した。大久保長安事件に連座して改易になった。【出典

■ 小諸藩(こもろはん): 長野県小諸市

■ 近藤藩(こんどうはん)

・ 信濃国。外様大名。1万石。慶長15年に近藤政成が立藩した。子の重直が幼少のため5000石の相続しか認めず、廃藩に。【出典

■ 坂木藩(さかきはん)

・ 信濃国。坂木陣屋。板倉家譜代大名。5万石。天和2年に、岩槻藩主の板倉重種が蟄居。子の重寛が陸奥国福島転封なって廃藩。【出典

■ 信濃中村藩(しなのなかむらはん)

・ 信濃国岩城家。外様大名。2万石。元和2年に、岩城貞隆が立藩した。子の吉隆が出羽国亀田2万石に転封となって廃藩。【出典

■ 須坂藩(すざかはん): 長野県須坂市

・ 「須坂」の地名

・ 堀家1万石・外様

# 信濃国。須坂陣屋。堀家。外様大名。1万石。元和元年に立藩。控間:柳間格:無城位階:従五位下。上屋敷:中央区新富。元和元年に、大坂の陣で活躍した堀直重が加増されて大名になって須坂に藩庁をおいて立藩した。【出典

# 須坂藩士: 駒沢家

■ 高井藩(たかいはん)

・ 信濃国。竹佐陣屋。松平家。親藩。3万石。尾張藩の支藩。元和元年(1681年)に、徳川光友の次男の義行が立藩した。のちに、美濃国高須藩との領地替えで廃藩。【出典

■ 高井野藩(たかいのはん)

・ 信濃国。高井野陣屋。福島家。外様大名。4万5000石。元和5年に、改易された福島正則が立藩した。正則の死後、無断火葬の罪で廃藩。【出典

■ 高島藩(たかしまはん): 長野県諏訪市

■ 高遠藩(たかとうはん): 長野県伊那市

■ 田野口藩(たのぐちはん): 長野県佐久市田口

■ 長沼藩(ながぬまはん)

・ 信濃国。長沼城。佐久間家。外様大名。1万8000石。元和元年に、佐久間勝之が立藩した。四代の勝親が病気と詐称して出仕せず、改易になった。【出典

■ 埴科藩(はにしなはん)

・ 信濃国真田家。外様大名。1万7000石。松代藩の支藩。元和8年に、松代藩主の真田信之の子の信政が立藩。信政の弟の信重に嗣子がなく廃藩。【出典

■ 松代藩(まつしろはん): 長野県長野市

■ 松本藩(まつもとはん): 長野県松本市


【注意】転封などがあるため、藩主や石高には変化があります。ここでは一例を掲載しています。

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