長野県内の諸藩
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■ 飯田藩(長野県飯田市)

・ 堀家1万7千石・譜代大名

■ 飯山藩(長野県飯山市)

・ 本多家2万石・譜代大名

・ 1717年に糸魚川から本多家が入った。

■ 岩村田藩(長野県佐久市)

・ 内藤家1万5千石・譜代大名

・ 高遠藩の分家。

■ 上田藩(長野県上田市)

・ 松平(藤井)家5万3千石・譜代大名

・ 出羽国上山藩松平家の分家で1706年に入封。幕末の松平忠優はペリー来航時の老中

■ 小諸藩(長野県小諸市)

・ 牧野家1万5千石・譜代大名

・ 牧野家は越後国長岡藩の牧野家の分家で1702年に入封。

■ 須坂藩(長野県須坂市)

・ 堀家1万石・外様

■ 高島藩(長野県諏訪市)

・ 諏訪家3万石・譜代大名

■ 高遠藩(長野県伊那市)

・ 内藤家3万3千石・譜代大名

・ 1691年に延岡藩内藤家の一族の内藤清枚(きよかず)が入封。江島・生島事件の江島が27年間幽閉された。

■ 田野口藩(長野県佐久市田口)

・ 大給松平家1万6千石・譜代大名・陣屋

・ 1863年に三河国奥殿の松平家が転じた。

・ 幕末の藩主に大給乗かたのとき、1864年に佐久市に五稜郭の建設を開始した。たしか、小学校に遺構が残っていたはず。【江戸300藩の意外な「その後」 日本博学倶楽部 PHP研究所】

■ 松代藩(長野県長野市)

・ 真田家10万石・外様

・ 真田信濃守

・ 真田家は1622年に上田から転封。八代藩主の幸貫(ゆきつら)は松平定信の子で、水野忠邦時代に老中を務めた。

・ 真田信之って、92歳まで生きたのか?!誠実に家を守り続けて大往生したドケチ大名だと。でも、家を守るにはそのくらい言われないとな。

・ 真田家の嫡男の信之(信幸)と弟の信繁(幸村)は柿の木に登って赤い実をとっていた。兄曰く、「あまり枝の先の方に行くな。柿の木はあっという間に折れるそうだぞ」。それに対して弟は、「実さえ採れるのなら、落ちようがどうしようが。枝先の方が熟している」と言った。それを見て父親の真田昌幸が「無理は禁物じゃ。柿の木はこの木一本だけでなく、あっちこっちにもまだある」といった。これはよくある逸話のたぐいだが、三人の生き様を表しているという。

・ 松代藩は早い段階から官軍派だったが、明治維新後には冷遇された。多額の戦費のために財政が窮乏した松代藩は、「松代商法社」という藩営企業を設立した。が、しかし。【江戸300藩の意外な「その後」 日本博学倶楽部 PHP研究所】
・ 恩田木工

■ 松本藩(長野県松本市)

・ 戸田家6万石・譜代大名

・ 三河国田原の豪族の出。


【注意】転封などがあるため、藩主や石高には変化があります。ここでは一例を掲載しています。

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