高知県内の「吉良」の名字の詳細 | |
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■ 吉良(きら)
# 土佐国の戦国大名。源頼朝の弟の希義の子孫と伝える。希義は土佐国に流されて長岡郡介良荘(高知県高知市)に住んだが、治承4年(1180年)に平家の命をうけた平田俊遠・蓮池家綱に討たれた。その子の希望は頼朝から土佐国吾川郡に所領を賜って吉良氏を称したという。以後は吾川郡内に勢力を持ち、のちに戦国大名に成長した。天文9年(1540年)に宣直のときに本山茂辰に敗れて嫡流は滅亡した。茂辰は吉良氏を称して吾川郡を支配し、弘治3年(1557年)に芳原城(高知市春野町芳原)に拠ったが、永禄6年(1563年)に長宗我部元親に敗れて本拠地の本山に敗走した。その後、長宗我部元親は弟で宣直の女婿にあたる親貞に吉良氏を名乗らせて再興した。子の親実は元親の娘を正室に迎えて長宗我部氏の一門として活動したが、長宗我部氏の家督争いに敗れて元親から切腹させられて滅亡した。【出典】
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