静岡県内の「黒田」の名字の詳細
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■ 県内194位: 黒田(くろだ): 静岡県の黒田家

# 静岡県の黒田家: 遠江国小笠郡の旧家。越前国黒田荘をルーツとし、足利氏の一族。黒田義理が遠江国小笠郡を領した。永禄年間に家康に仕え、江戸時代には代官を務めた。

# 静岡県の黒田家: 遠江国小笠郡の国人越前国黒田荘(福井県)の出で足利氏の一族。江戸時代には旗本本多家のもとで4500石の代官を務めた。【出典

# 静岡県内では、小笠郡で4位。【出典

# 駿河の黒田氏は橘氏流といい、大橘播磨守定綱の子の信濃守広綱が黒田氏を称し、その子の監物久綱は元亀年間のころに、駿府に住んで今川氏に属し、子の蔵人光綱はのちに徳川家康に仕えた。光綱の子の信濃守直綱も家康に仕え、駿河国志太郡、富士郡、田方郡などを領し、子孫は江戸時代には旗本。光綱の弟の直満は紀州徳川家に仕えた。【出典

# 南伊豆の黒田氏は、天正年間に賀茂郡一色村(南伊豆町か?)の吉祥院を開創、河津村(河津町)の黒田氏は九州黒田氏の分流と伝えられ、江戸時代には網元で山林地主として知られる。【出典

# 小笠郡下平川(小笠町)の黒田氏は足利義次が越前国黒田庄に住んで黒田氏を称し、その子の義治は紀伊国に転じて、その三男の式部少輔義理は城東郡を領し、四男の監物義重は平川村を領した。子孫は今川家に仕え、後に徳川家康に属し、江戸時代には旗本の本多日向守の代官をつとめた。【出典

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