静岡県内の「佐藤・左藤」の名字の詳細
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■ 佐藤(さとう): 静岡県の佐藤家

# 静岡県の佐藤家: 東海道の江尻宿(静岡県清水区)の豪商で、江戸時代の初頭に伊勢国松坂(三重県松坂市)から移り住んだと言われる。【出典

# 静岡県内では、中伊豆町では1位。【出典

# 左藤姓の発祥には諸説あるが、平将門を討った藤原秀郷の子孫ということは一致している。秀郷が下野国佐野庄に住んで、佐野藤原が左藤になったという説と、秀郷の後裔の公清が左衛門尉となり、左藤と称したが、のちに縁起をかついで左を吉祥文字の佐に変えたという説や、秀郷の孫の文脩の子が佐渡守となったからとも、公清の父が豊後佐伯氏を名乗ったからともいう。【出典

# 伊豆の佐藤氏は鎌倉時代以降繁栄し、相模北条氏に属して伊豆衆二十一家に数えられた。1441年に熱海の豪族の佐藤信頼は小田原城主の大森氏頼に仕えた。大見村(中伊豆町)の佐藤四郎兵衛は1491年に北条早雲が伊豆に侵攻した際に、大見三人衆の一人としていち早く従い、一族に藤左衛門、七郎左衛門がいた。【出典

# 永正年間のころに兵衛太郎がおり、永禄年間初期に、図書助は長崎郷(韮山町)を知行、天正18年に左衛門尉は伊豆山中城(三島市)を守って豊臣軍と戦い、城将の松田康長らと共に落城に殉じ、子孫は八幡村(中伊豆町)に永住したという。【出典

# 賀茂郡岩科村(松崎町)の佐藤氏の祖は熊野から来住し、この地の熊野権現は佐藤氏の氏神と伝えられ、1542年の棟礼に左衛門尉藤原延行の名が見える。【出典

# 安倍郡有永(静岡市)の佐藤氏の祖の佐藤加賀守は、戦国時代武田氏に仕えたが武田氏の滅亡後にこの地に閑居し、子孫は土着したという。この先祖は源義経の郎党の佐藤継信、忠信兄弟とも、また忠信の叔父の信重とも伝えられる。また天文年間のころに、今川義元の家臣に佐藤又市がおり、安倍郡日向(ひなた)村(静岡市)の陽明寺を開基した佐藤氏がある。【出典

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