岐阜県内の「遠藤」の名字の詳細
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■ 遠藤(えんどう): 岐阜県の遠藤家 

# 岐阜県の遠藤家: 旗本近江国三上藩主の分家で、桓武平氏東氏の一族。戦国時代には美濃国斎藤氏に仕えた。【出典

# 岐阜県の遠藤氏: 美濃国西部の戦国大名。【出典

# 美濃国戦国大名桓武平氏東氏の一族。室町時代後期に篠脇城主の東元胤が長良川筋の抑えとして木越城(岐阜県郡上市大和町)を築き、末弟の遠藤盛胤に守らせたのが祖。代々、東氏に従っていたが、盛数が東常慶の女婿になって美濃国八幡2万石を継承、斎藤龍興に仕えた。盛数は慶隆と甥の胤俊に所領を分割して、以後は嫡流の八幡遠藤家と胤俊の木越遠藤家に分かれた。永禄5年(1562年)に盛政が死去すると、両家は対立したが、永禄10年に織田信長が稲葉山城を攻略すると、両家ともに信長に従った。本能寺の変の後には織田信孝に属し、のちに豊臣秀吉に攻められて降伏した。慶隆は、天正12年(1584年)の小牧合戦で織田信雄に通じたと疑われて、美濃国小原7500石に減知された。江戸時代には近江国三上藩主となった。【出典

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