栃木県内の「大関」の名字の詳細
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■ 大関(おおぜき): 栃木県の大関家 

# 栃木県の大関家: 武蔵七党の丹党の出とも桓武平氏の出ともいう。黒羽藩主(2万石)。【出典

・ 下野国の黒羽藩主武蔵七党の丹党の一つで、武蔵国児玉郡大関(埼玉県)をルーツとする。【出典】  

・ 黒羽藩主。代々下野国那須郡黒羽(栃木県大田原市黒羽)の土豪で、大田原氏とともに那須氏の有力家臣だったが、戦国時代初期までの事績ははっきりしない。豊臣秀吉小田原攻めに参陣し、本領を安堵された。関ヶ原の合戦では資増が黒羽城を守り、合戦後には2万石に加増された(後に1万8000石)。幕末には、17代目を継いだ養子の増徳は藩の老職と合わず座敷牢に入れられて強制隠居させられ、1861年に遠江横須賀藩主西尾家から増裕が十八代目に迎えられた。増裕は西洋兵学に通じ、襲封直後から講武所奉行、陸軍奉行を歴任して幕府の軍制改革につとめた。1867年には若年寄に抜擢されたが、直後に急死した。跡を継いだ増勤は戊辰戦争ではいちはやく官軍に属し、明治時代には子爵。【出典】 

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