「菊」の家紋の解説
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■ 「菊」の家紋の解説: 「菊」の家紋図 

# 菊紋: 古くから中国にならい、菊は「四君子(梅・竹・蘭・菊で、君子をたたえるものとした)」の一つとして愛好された。特に日本では菊を「花貴種」といい、「百草王」とも言って、草花のなかでも高貴なものとされた。天皇の中でも鎌倉時代の後鳥羽上皇が菊紋を好み、使用した。その後、多くの天皇がそれにならった。菊紋が天皇家の紋と定められたのは大正15年の「皇室儀制令」。【日本人なら知っておきたい天皇家の謎 「歴史読本」編集部 KADOKAWA】

# 菊紋: 菊は中国から伝来した植物で、高貴な香りが貴族たちに好まれた。天皇家の家紋として使用され、臣下に下賜された。花弁の数を数えたり、葉や茎を組み合わせなど多くのデザインがあり、室町時代には武家の間でも使用されたが、明治時代から昭和にかけて使用を制限された。【出典
・ 十六葉八重表菊紋、抱き菊の葉に菊紋、葉菊菱紋、菊水紋、抱き開き菊紋、大宮菊紋、上下割り菊紋、千葉菊紋、乱菊紋。

# 菊は朝鮮では「クク」という。【出典
※ 菊地氏の故地の肥後国菊池郡も、ふるくは「ククチ」だったものねぇ。

# 菊紋は皇室の紋章。 明治時代以前は、皇室と関係のある一部の神社しか菊の紋は使えなかった。伊勢神宮、宇佐八幡、上下賀茂神社の四社。 明治12年(1879年)5月に官国弊社一般に使うことが許可されてから、菊紋を使う神社が増えた。現在菊紋を神紋とする神社は全国の1割以下という。

・ 大正15年に宮内省から「御紋章類似形の取締標準」が出ている。【出典

# 平安時代後期、菊文様が普及し、特に後鳥羽上皇が好み、皇室の専用紋とするまで、天皇のシンボルは「太陽と月」であった。【見て楽しい読んで学べる家紋のすべて PHP研究所】

# 鎌倉時代に、後鳥羽上皇が菊紋を好み使用した。その後の歴代天皇がそれを継承したため、皇族専用となった。

# 皇室がもっとも古くから皇室がつかっている紋章は日月紋。菊紋は、鎌倉時代初期に後鳥羽上皇が好んで用いたのが起源。【出典

# 皇室の紋として使用されている菊花紋(十六八重表菊)が、天皇・皇室の紋として定められたのも、鎌倉時代。もともと、天皇の印として使用されていたのは錦の御旗に日の丸と三日月の紋様をつける「日月紋(にちげつもん)」で、現在でも天皇の即位など重要な儀式の時には、この紋をみることができる。【出典

# もともと、日本に自生する植物である菊が、秋の花として広く鑑賞されるようになったのは平安時代中期で、宮中では「菊の節句」と呼ばれる重陽(ちょうよう)の節句を祝う習慣が営まれるようになってからである。この節句では、邪気を祓い長寿を願って、菊の花を飾ったり、「菊花の宴」「菊花の杯」など菊の花びらを浮かべた酒を酌み交わす行事が行われ、この中では菊は貴族階級にとって親しみのある花へとなっていった。そして、家紋を使用する風習が広まる中で邪気祓いと長寿を願う意味を込めて菊の紋様が使用されるようになった。【出典

# 主な菊紋使用神社
札幌神社: 菊紋
岩手護国神社: 菊花十六弁
金峯神社(山形県): 菊水紋
霊山神社(福島県): 菊紋
赤城神社(群馬県): 菊花紋

# 後藤家田村家橋本家前田家松田家村上家

# 菊紋: 皇室の紋として有名な菊紋は、戦国時代には朝廷に貢献したものに下賜され、上杉家豊臣家も賜った。しかし、徳川家康が下賜を拒否して以来、この紋を与えることは無くなった。菊は、不老不死の象徴とされる。【出典

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