「片倉」の名字の由来
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■ 片倉(かたくら)

【2021/02/10:改編】

# 1502位

# 全国に約11400人【全国分布

# 片倉景綱: 九曜紋。伊達政宗の重臣。片倉家はもともとは米沢の八幡神社の神職だった。【武将と家紋 インデックス編集部】

# 藤原北家の秀郷流、諏訪神党、大江氏などにみられる。

# 宮城県から山形県にかけてと、関東地方南部に多くみられる。

# 宮城県:220位(約1500)、山形県:262位(約700)、神奈川県:555位、秋田県:697位など。

# 主なルーツ地

・ 信濃国佐久郡片倉(長野県佐久市片倉)をルーツとし藤原北家を称す。大崎氏に仕え、陸奥国に転じて、後に伊達氏に従った。江戸時代には仙台藩家老。【出典

# 宮城県の片倉家: 仙台藩家老信濃国佐久郡片倉(長野県佐久市片倉)をルーツとする。後に奥州に転じ大崎氏に仕えたがその後伊達氏に仕えた。江戸時代には白石城主で1万3千石。

・ 伊達家の重臣で信濃国佐久郡片倉(長野県佐久市片倉)をルーツとし、藤原北家の出というが不詳。後に、奥州に転じ、大崎氏に仕えた。天文年間に伊達家に従った。江戸時代には白石1万3千石を領し、代々伊達家の家老を務めた。【出典

・ 仙台藩の家老。信濃国佐久郡片倉(長野県佐久市片倉)をルーツとし、藤原北家の出と言うが諸説有りはっきりしない。後に奥州に転じて大崎氏の家臣となり、天文年間頃に伊達氏に従った。米沢八幡宮神職であった景重の子の景綱は母が伊達政宗の乳母であったことから、政宗が九歳のときに近習になり、以後側近として活躍した。豊臣秀吉や徳川家康からしばしば独立した大名として取り立てる話があったが固辞したとされている。関ヶ原の合戦後、白石城主として1万3000石を与えられ、代々仙台藩の家老を務めた。明治時代には男爵。【出典

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