片倉景綱
 
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■ 片倉景綱(かたくらかげつな)【出典

・ 「片倉」の名字の由来

・ 1557−1615年。享年59歳(病死)。

・ 出身地: 出羽国(山形県)

・ 肩書き: 武将

・ 家紋: 九曜(くよう)紋

・ 通称: 片倉小十郎

・ 出羽国米沢(山形県米沢市)の米沢八幡宮の神主(神職)の家の出。19歳で9歳の伊達政宗に仕えて、生涯政宗の右腕として活躍した。1586年の陸奥国二本松城の攻撃で功をなし、大森城(福島県)の城主になった。天下統一のために豊臣秀吉が東北地方を訪れた際に、景綱に直臣になるように勧めたが断ったという。関ヶ原の合戦では政宗とともに東軍に属し、上杉景勝から白石城を攻め落とした功績で白石城主になった。


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