「鈴木」の名字の由来
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■ 鈴木(すずき)

【2024/03/08:改編】

# 第2位【第一生命ランキング

# 鈴木氏の本姓は「穂積氏」で、古代に勢力をもった物部氏庶流石上氏の同族。発祥の地は大和国山辺郡穂積郷(奈良県天理市)と言われる。穂積氏は熊野速玉神社の神職として、穂積国興(くにおき)の子の基行(もとゆき)が鈴木氏を称した。

# 全国に約175万人。

# 第2位 約190万人【明治安田生命ランキング2008

# 第2位 約186万人【明治安田生命ランキング2013

# 第2位 約182万人【明治安田生命ランキング2018

# 第2位 約187万人【道産子のルーツ事典 岸本良信 中西出版】

# 全国に、約424,000軒。【出典

# 全国順位(森岡浩ランキング): 2位
# 全国密度順位(森岡浩ランキング): 静岡県 > 福島県 > 山形県 
# 全国人口順位(森岡浩ランキング): 静岡県 > 東京都 > 愛知県

# 穂積氏藤原南家桓武平氏千葉氏流などにみられる。

# 代表家紋

# 【全国分布

# 少ない方を上げると、〜鹿児島県:208位、熊本県:225位、島根県:321位、佐賀県:345位、沖縄県:381位。

# 稲穂を積み上げた紀州方言「すすき」が語源で、物部氏末裔で紀州熊野に発祥とする。

# 熊野の神話によると、第五代の孝昭天皇の時に、熊野権現が竜に乗って千穂(ちほ)の峰に降臨した。その時に向かえにでた三兄弟のうちの、長男の真俊は12本の榎を勧進したので榎本姓を、次男は餅を供えたので丸小姓を、三男の基行は稲を献上したので穂積姓をった。穂積とは稲穂のことで、熊野地方ではススキと呼んだことから鈴木姓を名乗った。

# 熊野の神職のうち、神聖な「すすき」にちなんで「鈴木」という名字を名乗った家があり、その鈴木氏の一部が、後に紀伊国藤白(和歌山県海南市)に移り、王子社(熊野の御子神が祀られている場所に建てられた神社)の神官となった。なんでも、王子社の一つの藤白神社(和歌山県海南市)では、鈴木姓のルーツとして有名で、「鈴木サミット」が行われているそうだ。

# 鈴木姓は熊野信仰の山伏により全国に拡がり、信者に「鈴木」という名字を与えた事により、特に熊野信仰があつかった東日本に増えていった。特に三河国の鈴木氏が有名で、後に徳川家の家臣(旗本)のうち一番多い姓が鈴木と言われ、徳川家康の江戸移封によって東京を中心とした関東地方に拡がった。

# 鈴木姓は愛知県周辺に多いが、徳川家康の関東移封で、徳川家と共に多くの家臣が一緒に関東に移り住んだ。家臣には多くの鈴木家があった。

# 歴史的に有名なのは、戦国時代の鉄砲集団で有名な「雑賀衆(さいかしゅう)」の頭領の雑賀孫市の本名は「鈴木孫市重秀」。

# 特に熊野信仰の厚かった東日本に鈴木の名字が多い。山形県南陽市宮内にも有名な熊野大社があり、日本三熊野の一つと言われています。

# 鈴木の名字が資料的に登場するのは、平治の乱(1159年)に活躍する鈴木重倫(しげのり)・重善(しげよし)兄弟。

# 岩手県の鈴木家

# 宮城県の鈴木家

# 山形県の鈴木家

# 茨城県の鈴木家

# 群馬県の鈴木家

# 千葉県の鈴木家

# 神奈川県の鈴木家

# 新潟県の鈴木家 

# 石川県の鈴木家

# 長野県の鈴木家

# 静岡県の鈴木家

# 愛知県の鈴木家

# 兵庫県の鈴木家

# 和歌山県の鈴木家

# 宮崎県の鈴木家

# 元総理大臣の鈴木貫太郎は大阪府堺市の出身。元総理大臣の鈴木善幸は岩手県下閉伊郡山田町の出身。映画監督の鈴木清順は東京都の出身。車のスズキの創業者の鈴木道雄は静岡県浜松市の出身。美容研究家の鈴木その子は東京都の出身。セブン&アイ・ホールディングスCEOの鈴木敏文は長野県埴科郡坂城町の出身。プロ野球の鈴木啓示は兵庫県西脇市の出身。政治家の鈴木宗男は北海道十勝支庁足寄町の出身。アナウンサーの鈴木史朗は京都府京都市の出身。レーサーの鈴木亜久里は埼玉県所沢市の出身。女優の鈴木保奈美は神奈川県茅ヶ崎市の出身。水泳の鈴木大地は千葉県習志野市の出身。女優の鈴木京香は宮城県仙台市の出身。Winkの鈴木早智子は愛知県名古屋市の出身。キャイーンのウド鈴木(鈴木任紀)は山形県鶴岡市(旧藤島町)の出身。女優の鈴木砂羽は静岡県浜松市の出身。野球のイチロー(鈴木一朗)は愛知県の出身。歌手の鈴木あみは神奈川県座間市の出身。女優の鈴木杏樹は大阪府箕面市の出身。 

# 愛知県の鈴木氏: 三河国東部の国人源義経に仕えた鈴木重家の叔父とも兄弟とも言われる鈴木重善は、奥州に逃れた義経を追って奥州に向かう途中、三河で脚を折って逗留。義経が討ち死にしたため、善阿弥と称して熊野権現を勧請して住み着いた。室町時代には国人として繁栄し58家の鈴木家があったという。永禄年間に足助の鈴木家が徳川家康に下り家臣となった。1590年の徳川家康の関東入国に際して30家以上の鈴木家が関東に移り住み広がった。江戸時代には旗本。【出典

# 和歌山県の鈴木氏: 紀伊国海部郡の国人。雑賀荘(和歌山県和歌山市)を本拠とする雑賀党の中核。戦国時代の雑賀孫一が有名。豊臣秀長豊臣秀吉に仕え関ヶ原の戦いでは西軍に属して浪人。その後徳川家康に招かれ水戸家に属し、後に3千石の家老。【出典

# 群馬県の鈴木氏: 上野国吾妻郡の国人真田家の重臣で名胡桃城主。北条氏に敗れた。【出典

【東北地方の苗字おもしろこぼれ話】鈴木常夫著 本の森 より

# 東北では福島・宮城・山形の南東北に多い。特に福島県では県南に多く、関東地方の影響を強く受けているせいだろうか?

# 福島県の白河城主だった結城氏は熊野信仰に熱心で、領民に「熊野詣」を推奨したので、この地に鈴木が多いとも言われる。

# 宮城県の北上川流域や牡鹿郡以北の沿岸部に多い「鈴木」姓は、紀伊国名草郡藤白(和歌山県海南市)から来たと言われる。

【新編日本姓氏辞典】千葉琢穂編著 展望社 より

# 穂積氏族。穂積朝臣は神僥連日(かんにぎはやひの)命の五世の裔の伊香色雄(いかしこおの)命の後裔といい、また穂積臣は伊香賀色雄(いかがしこお)の男の大水口宿禰の後なりという。

【日本人の苗字 30万姓の調査から見えたこと 丹羽基二 光文社新書】

・ 「稲を積む=ほづみ」の中心に一本の棒をたてる。これが「スズキ」。「スズキ」は稲魂(いなたま)を呼ぶ「依り代(よりしろ)」で、棒を伝わってくる稲魂は積んである稲に入来する。すると籾は活性化して、次なる豊饒(ほうじょう)に向け働き始める。

# もともと「スズキ」という大和言葉があり、それを漢字で表現した典型的なもの。

# 鈴木: 農耕神を祀る場。東日本の熊野神社の信者に広まった名字。【地名でわかるオモシロ日本史 武光誠】

# 饒速日命(ニギハヤヒノミコト)の子孫の千翁命(ちおきなのみこと)が神武天皇に千束の稲を献上したので、穂積の姓を賜った。」そして、この時、梛(なぎ)の木に鈴を付けて、神武天皇の軍を案内したので、「すずき」は「鈴木」と書かれるようになった。

# 千翁命(ちおきなのみこと)の子孫が物部氏になった。物部→穂積→鈴木。

# 東京には鈴木家が多く、中でも著名なのが室町時代に品川で海運業を営んでいた鈴木家で、紀伊国熊野の出身。また、武蔵国多摩郡貫井村(東京都小金井市)の鈴木家は、戦国時代には北条氏の家臣で、江戸時代名主。武蔵野を開墾して、鈴木新田を作った。現在の小平市鈴木町にその名を残す。 

# 「鈴木」の地名の由来

# 「鈴木」町駅

# 外部リンク集: 鈴木さんの発祥の地(和歌山県庁)、「鈴木」姓発祥の地とされる"鈴木屋敷"が老朽化 クラウドファンディングで復元目指す(niftyニュース)

# 国衆(国人)

# 「木」のつく名字

【日本人のおなまえっ! 集英社インターナショナル NHK】

・ 鈴木姓のルーツ地の和歌山県海南市の藤白神社には、鈴木さん専用のお守りや、専用の参拝者名簿があり、年間1000人以上の鈴木さんが訪れる。

・ 藤白神社にある「鈴木家系譜」によると、平安時代末期の1150年に25代の重秀が熊野古道の玄関口の藤白に移り住んだ。この系譜に初めて鈴木という名字があらわれるのは900年代。平安時代初期、「鈴木真人(まひと)」という人物に「はじめて鈴木と号す」とある。

・ 東北地方の鈴木家は、源義経の家臣の鈴木重家が秋田に落ち延びて土着して帰農したのが発祥。

・ 三河国の鈴木家の初代は鈴木重善。重善は源平の合戦で源氏の勝利に貢献した鈴木重家、亀井重清兄弟の叔父で、源義経の家臣。重善は義経を追って奥州に向かう途中、脚を痛めて三河国矢作(愛知県岡崎市矢作町)に滞在している時に、義経の討ち死にを知り、奥州行きをあきらめた。三河国の鈴木家の多くは、松平家に仕え家康の関東入国に従った。寛政譜によると徳川家の家臣で一番多かったのは鈴木家だった。 

# 内田康夫の 狐道より

・ 海南市の海南ICを下りたところに藤白神社がある。藤白神社の隣(同じ敷地内)に、鈴木屋敷があり、神社はもともとは鈴木屋敷の一部。

■ 浜松市の鈴木さん

・ 浜松市西区篠原町の「権現」地区は、約50軒中の40軒余りが「鈴木」姓らしい。

・ 記事によると、「鈴木姓の発祥の地とされる熊野(和歌山県海南市)の武将鈴木重家が、源頼朝に追われる義経を助けるため奥州に向かう途中、行方知れずとなった。妻は息子を連れて夫を捜しに旅立ったが、橋本宿(静岡県湖西市)で夫が切腹して果てた、との知らせを聞く。途方に暮れていたところ、人々に温かいもてなしを受け、そのままとどまった。やがて子孫が居を移し、根を下ろしたのが権現地区の辺りだった―という。地元公民館の文化誌は、明治になって庶民の名字が義務化された際、権現地区をはじめ篠原町ではほとんどの人が鈴木姓を選んだ、とする。」【東京新聞

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