紀伊国
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# 旧南海道。

# 現在の和歌山県三重県の南部。

# 太閤検地での石高: 24万石。【戦国大名県別国盗り物語 八幡和郎 PHP文庫】

# 延喜式による国力順位(納税額による)【本当は面白い「日本中世史」 八幡和郎】。紀伊国は47位。

# 古代表記: 木の国 → 紀伊国

# 「木の国」の「木」は樹木が茂る意味し、元明天皇和銅5年に「紀伊国」と改めた。

# 「熊野」の語源は「物かげ」「奥まった所」の意味。また、古代に死者の霊がこもった国を隠国(こもりくに)とよび、それに由来するとも言われる。

# 紀伊国(きいのくに、きのくに): 南海道(上国)

・ 古事記では「木国」。

・ 紀ノ川下流を本拠地とした紀氏が古墳時代以降に勢力をもった。大宝律令施行以前には紀伊国造と熊野国造が南北に分布した。

・ 国府は名草郡にあった。和歌山市府中の府守神社(聖天宮)付近。

【日本古代史地名事典 雄山閣】

■ 有田(ありた)郡: 【角川日本地名大辞典】を見ると古くは「在田郡」とあるようだ。

■ 伊都(いと)郡: 古代から現在の郡名(紀伊国・和歌山県)。「延喜式」紀伊国七郡の1つ。伊刀・伊東・糸・伊土などとも書かれた。「日本書紀」の天武天皇8年是年の条に「紀伊国伊刀郡貢芝草、其状似菌、茎長一尺、其蓋二囲」とあるのが初見。当郡から菌に似た芝草が献上されている。【出典

■ 日高郡(ひだか): 古代より紀伊国(和歌山県)にみられる郡名。永高・飯高とも書く。「和名抄」の訓は「比太加」。和歌山県のほぼ中央部を占める。「続風土記」は日高の名義について「日の高く天の真秀に坐して照輝く義にして、山あれとも高からす、よく日をうくる地の美称なり、取りて直に郡名とせるならん」と記す。【出典】 


# 続日本紀文武天皇2年(698年): 夏4月3日: 近江・紀伊の二国に疫病がはやった。医師・薬を送って治療させた。

# 続日本紀大宝元年(701年): 8月14日: 播磨・淡路・紀伊の三国が「大風と高潮のために、水田や園地が被害をうけました」と言上した。使いを遣わして、農業養蚕の状態を巡察し、人民を慰問させた。また使いを河内・摂津・紀伊の国に遣わし、行在所(あんざいしょ)を造営させ、あらかじめ、水路の行幸に備えさせるために、天皇の乗る船を三十八艘を造らせた。

# 続日本紀大宝元年(701年): 8月21日: 参河(みかわ)・遠江・相模・近江・信濃・越前・佐度・但馬・伯耆・出雲・備前・安芸・周防・長門・紀伊・讃岐・伊予の十七カ国にイナゴの発生があり、大風が吹き人民の家屋が損壊し、秋の収穫に被害が出た。

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