徳川家 | |
【参考資料・文献】 | 【利用上の注意】 |
名字の由来のTop | 地名の由来のTop |
名字と地名のMenu | 「家」のTop |
スポンサーリンク |
スポンサーリンク |
■ 徳川家(松平家): 「徳川」の名字の由来
・ 代表家紋
・ 徳川一門: 駿河徳川家、甲府徳川家、館林徳川家、尾張徳川家、紀州徳川家、水戸徳川家。
・ 御三卿: 田安徳川家、一橋徳川家、清水徳川家。
・ 御家門: 越前松平家、会津松平家、越智松平家、奥平松平家、久松松平家。
・ 御連枝: 高須松平家、梁川松平家、久保松平家、西条松平家、丹生松平家、葛野松平家、鷹司松平家、高松松平家、守山松平家、府中松平家、宍戸松平家。
※ 御三卿は、宗家(将軍家)の家族という位置づけで、独自の領地や兵力は持たなかった。
■ 徳川家康 ・ 徳川秀忠 ・ 徳川家光 ・ 徳川綱吉 ・ 徳川光圀 ・ 徳川吉宗 ・ 徳川慶喜 ・ 徳川忠長 ・ 徳川宗春 ・ 徳川家達
■ 徳川家では、現代に至るまで「未年」生まれの子が跡を継いだ記録はない。家康の嫡男の信康は未年生まれだった。【徳川家臣団の謎 菊地浩之 角川選書】
■ 徳川四天王: 酒井忠次(又は大久保忠世)、本多忠勝、榊原康政、井伊直政。
■ 以下一説
・ 安城譜代: 酒井家、石川家、本多家、大久保家、阿部家、青山家、植村家(七家)
・ 岡崎譜代: 榊原家、内藤家、鳥居家、井上家、安藤家、大須賀家、久世家、渡辺家、永井家など(十六家)
■ 1547年8月、松平広忠は今川家の支援の増強を頼み、嫡男の竹千代(家康)を駿府に人質に出した。駿府に送られる途中、織田方に捕らえられ後に駿府に送られた。その時の従者に以下の名が見える。石川数正、阿部正勝、天野康景、平岩親吉、野々山元政、阿部重吉、内藤正次、酒井政家。
■ 松平広忠の死後、岡崎城には今川家の山田元益、三浦義保、飯尾顕茲などが城代として派遣された。また、岡崎の家臣団は松平家の軍団ではなく今川家の軍団として再編成された。1555年3月竹千代は14歳で元服して、松平次郎三郎元信と称し、1557年に松平蔵人佐元康と改名した。
■ 家康の伊賀越えの従者
・ 酒井忠次、石川数正、本多忠勝、榊原康政、大久保忠佐、大久保忠隣、天野康景、井伊直政、長沢松平康忠、高力清長、石川康通、阿部正勝、本多信俊、菅沼定政、渡辺守綱、牧野康成、服部半蔵正成、高木広正。
※ 家康が自害も考えたという本能寺の変。それを諌めたのが本多忠勝だったかなぁ?しかし、そうそうたるメンバーですね。
■ 1579年に家康は信康を自害に追い込み、家臣団を解体した。
・ 信長が岡崎城を追われた後、岡崎城代には石川伯耆守数正があたった。
・ 旧信康家臣団のうち30人が内藤家長に与力として預けられる予定だったが、それを嫌って5人が蓄電した。その5人とは、石川八左衛門重次、石川与次右衛門永正、米津(よねきつ)三十郎(永正の義兄)、林又兵衛清勝、浅羽八十郎。石川、米津は安城譜代。内藤は岡崎譜代。
蟄居したもの7人。平岩親吉、天野貞久、長沢松平康忠、本多重富(重次の兄)、伊奈忠家、伊奈忠次、永井直勝。
処士(解雇)された者が6人。植村家次、榊原清政(康政の兄)、横内貞長、加藤景治、杉山義忠、大須賀政次。
築山事件で、信康家臣団のうち、上級家臣は蟄居・解雇を余儀なくされ、中下級家臣団は他の者の与力として再編された。
【徳川家臣団の謎 菊地浩之 角川選書】
■ 浜松時代の徳川家の家臣団
・ 浜松衆: 家康直属の本多、榊原は浜松に常駐。
・ 三河衆: 酒井忠次、石川数正は三河国常駐。
■ 家康の関東入国時の配置
・ 井伊直政(三傑の一人): 30歳。上野国箕輪(高崎)12万石。遠江国衆。
・ 本多忠勝(三傑の一人): 43歳。上総国大多喜10万石。譜代。
・ 榊原康政(三傑の一人): 43歳。上野国館林10万石。譜代。
・ 大久保忠世: 59歳。相模国小田原4万5千石。譜代(旧浜松城主)
・ 鳥井元忠: 52歳。下総国矢作4万石。譜代(旧郡内城主)
・ 平岩親吉: 49歳。上野国の厩橋3万3千石。譜代(旧甲府城代)
・ 酒井家次: 27歳。下総国臼井3万石。譜代(旧吉田城主)
・ (大須賀)松平忠政: 上総国久留里3万石。譜代(旧横須賀城主)
・ 小笠原秀政: 22歳。下総国古河。3万石。信濃国衆(旧深志城主)
・ (依田)松平康真: 17歳。上野国藤岡3万石。信濃国衆(旧小諸城主)
・ (久松)松平康元: 39歳。下総国関宿2万石。家康の異父弟。
・ 石川康通: 36歳。上総国鳴戸2万石。譜代(旧掛川城主)
・ 本多康重: 37歳。上野国白井2万石。譜代(旧田原城主)
・ (松井)松平康重: 23歳。武蔵国騎西2万石。三河国衆(旧沼津城主)
・ 高力清長: 61歳。武蔵国岩槻2万石。譜代(旧田中城主)
・ 大久保忠隣: 31歳。武蔵国羽生2万石。譜代(忠世の嫡男)
・ 内藤家長: 45歳。上総国佐貫2万石。譜代。
・ 奥平信昌: 36歳。上総国小幡2万石。三河衆(家康の娘婿)
・ 牧野康成: 36歳。上野国大胡2万石。三河国衆(旧長窪城主)
・ 菅沼定利: 上野国吉井2万石。三河国衆(旧伊那城主)
・ 諏訪頼水: 21歳。武蔵国奈良梨1万2千石。信濃国衆(旧高島城主)
・ 岡部長盛: 23歳。1万2千石。旧今川家家臣。
・ 酒井重忠: 42歳。武蔵国川越1万石。譜代(旧西尾城主)
・ 本多正信: 53歳。相模国甘縄1万石。譜代。
・ 内藤信成: 46歳。伊豆国韮山1万石。譜代。
・ 伊那忠次: 41歳。武蔵国鴻巣1万石。譜代。
・ (竹谷)松平家清: 25歳。武蔵国八幡山1万石。松平一門(旧興国寺城主)
・ (長沢)松平康直: 22歳。武蔵国深谷1万石。松平一門(家康の甥)
・ (桜井)松平家広: 14歳。武蔵国松山1万石。松平一門(家康の甥)
・ (深溝)松平家忠: 36歳。武蔵国忍1万石。松平一門。
・ (大給)松平家乗: 16歳。上野国那波1万石。松平一門。
・ (戸田)松平康長: 29歳。武蔵国東方1万石。三河国衆(家康の義弟)
・ 菅沼定盈: 49歳。上野国阿呆1万石。三河国衆。
・ 菅沼定政: 40歳。下総国守谷1万石。三河国衆。
・ 久能宗能: 64歳。1万石。遠江衆(旧久能城主)
・ 三浦義次: 下総国佐倉1万石。
・ 小笠原信之: 21歳。武蔵国本庄1万石。信濃国衆。
・ 保科正光: 30歳。下総国多胡1万石。信濃国衆。
・ 木曾義利: 下総国足戸1万石。信濃国衆。
・ 北条氏勝: 32歳。下総国岩富1万石。北条家の旧臣。
【徳川家臣団の謎 菊地浩之 角川選書】
■ 徳川十五代将軍家のうち四人が暗殺されたという話がある。
・ 五代将軍の徳川綱吉は正室との夫婦げんかで刺されて亡くなったという話がある。
・ 十代将軍の家治は田沼意次に毒を盛られて亡くなった。
・ 十三代将軍の家定は毒殺で、水戸藩、尾張藩、一橋家、福井藩が関係していたという話がある。
・ 十四代将軍の家茂の暗殺説。
【誰も書かなかった徳川家の謎 小泉俊一郎 中経文庫】
※ さぁ、事実はどうか?
■ 関ヶ原の戦い後の徳川家の跡継ぎ問題で、本多正信は結城秀康をおした。大久保忠隣は徳川秀忠をおした。
【誰も書かなかった徳川家の謎 小泉俊一郎 中経文庫】
■ 1603年にイエズス会の宣教師がローマ法王庁に送った報告によると、「徳川家康が溜めた金銀により、伏見城の床が抜けた。」
・ 現在、名古屋の徳川美術館にある「久能山金銀請取帳(家康が死んだときの遺産分けの帳簿?」によると、金だけでも17万トン以上あったという。遺産の一部は御三家に分配されたが、総額200万両(約6000億円)だった。【誰も書かなかった徳川家の謎 小泉俊一郎 中経文庫】
■ 源義重の四男の義季(よしすえ)の子孫は、上野国新田郡世良田荘、徳河荘を本拠とした。徳川家の先祖はこの流れと称す。【江戸の殿さま 全600家 八幡和郎 講談社】
■ 徳川宗家
■ 徳川御三家
■ 徳川慶喜家
【参考資料】
# 誰も書かなかった徳川家の謎 小泉俊一郎 中経文庫
# 徳川家臣団の謎 菊地浩之 角川選書 他
# 江戸の殿さま 全600家 八幡和郎 講談社