「熊谷」の名字の由来
参考資料・文献 利用上の注意
名字の由来のTop 地名の由来のTop
名字と地名のMenu 「か」行の名字

スポンサーリンク
スポンサーリンク

■ 熊谷(くまがい、くまがえ)

【2023/05/19:改編】

# 148位

# 全国順位(森岡浩ランキング):154 位

# 137位【知っておきたい家紋と名字 別冊宝島】

# 坂東平氏北条氏流

# 代表家紋

# 埼玉県熊谷市をルーツとする。桓武平氏の平直貞が武蔵国熊谷(埼玉県熊谷市)に住んで熊谷氏を称した。源平の合戦で、熊谷直実が源頼朝に従って、鎌倉幕府御家人として各地に広がった。宮城県気仙沼、広島県、滋賀県、愛知県の熊谷氏が有名。東北地方に多く見られ、特に岩手県と宮城県に多い。

# 鎌倉幕府執権北条氏の同族で武蔵国大里郡熊谷を領したことに由来し、宮城県(気仙沼)、愛知県(三河国)、滋賀県(近江国)、広島県(安芸国)などにも拡がった。
・ 気仙沼の熊谷氏: 熊谷直国の弟の直宗が陸奥国気仙沼(宮城県気仙沼市松川)に下向したのに由来する。
・ 安芸の熊谷氏: 熊谷直時が安芸国安佐郡三入荘(広島県広島市安佐北区可部町)の地頭になったのに由来する。
 三入荘: 平安時代末期から戦国時代にかけてみられる荘園名。承久3年9月6日、武蔵国熊谷郷に本拠を置く鎌倉御家人の熊谷直時が、承久の乱の勲功賞として三入荘地頭職に補任された。
・ 近江の熊谷氏: 熊谷直正が近江国浅井郡塩津荘(滋賀県長浜市西浅井町)の地頭になり、その子が土着したことに由来する。

# 若狭国三方郡の国衆安芸国の熊谷氏の一族。永享12年(1440年)の若狭武田氏の成立と同時に信直が若狭国に下向し、守護の武田氏の重臣になった。戦国時代、直之は大倉見城(井崎城、三方上中郡若狭町)を築き、次第に自立して、永禄11年(1568年)に織田信長から本領安堵された。その後、丹羽長秀の与力になって、本能寺の変の後には長秀の家臣になった。天正13年(1585年)に長秀が死亡すると豊臣秀吉に仕えて豊臣秀次の家臣になって、文禄4年(1595年)に秀次に連座して自刃した。【出典

# 東北地方を中心に東日本に集中してみられる。

# 青森県弘前市の熊谷は「くまたに」と読み、福岡県では「くまがえ」と読む。

# 熊谷という地名は屈折地形を開拓したことに由来。

# 「くまがい」の「がい」の語源は「開発」の「かい」らしい。

# 熊は隈、谷は開拓の意味。つまり熊谷は、まだ開拓されていない隅地を開拓した。

# 宮城県の熊谷家

# 埼玉県の熊谷家

# 東京都の熊谷家

# 長野県の熊谷家

# 静岡県の熊谷家

# 愛知県の熊谷家

# 広島県の熊谷家

# 山口県の熊谷家

# 福岡県の熊谷(くまがえ)家 

# 主なルーツ地

・ 陸奥国気仙沼(宮城県気仙沼市松川)にをルーツとする。

・ 安芸国安佐郡三入荘(広島県広島市安佐北区可部町)をルーツとする。

・ 近江国浅井郡塩津荘(滋賀県長浜市西浅井町)をルーツとする。

# 画家の熊谷守一は岐阜県中津川市の出身。小説家の熊谷達也は宮城県仙台市の出身。タレントの熊谷真実は東京都杉並区の出身。女子サッカーの熊谷紗希は北海道札幌市の出身。

# 熊谷直実(なおざね): 永治元年(1141年)に武蔵国大里郡熊谷郷を本拠とした熊谷直貞の二男。熊谷氏は桓武平氏の出という節と武蔵七党の私市党か丹党の出という説がある。直実の母親は私市党の小沢氏の出といわれる。一ノ谷の合戦で平敦盛を討ち取ったが、後に所領没収後に出家したと言われる。

# 「熊谷」の地名

# 国衆(国人)

# 「クマ」の語源

# 「熊」のつく名字

# 「谷」のつく名字

都道府県毎の名字の特徴 名字の様々な区分
難読名字 難読地名・珍地名
地名と災害 名字の博物館
名字と地名・都道府県編 民俗学の広場内の検索

■ このサイトで使用している「名字の順位」「全国の概算数」「都道府県毎の順位」などについてはこちらを御覧下さい。詳細】 

統計表示