安芸国
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# 旧山陽道。

# 現在の広島県の西部。

# 太閤検地での石高: 19万石。【戦国大名県別国盗り物語 八幡和郎 PHP文庫】

# 延喜式による国力順位(納税額による)【本当は面白い「日本中世史」 八幡和郎】。安芸国は37位。

# 安芸=飽のことで五穀がよく稔り食物が沢山とれるという意味。

# 安芸(あき): 古くは「アギ」といい、「高くなった所」の意味。【出典

# 水辺の肥沃な土地は古代語で「あき」「あきつ」と呼ばれていた。

# 安芸は昔は「阿岐」と書いた。

# 安芸(あき): 古代の安芸国安芸郡は、広島湾に面した平野で、当時は低湿地だった。水辺の肥沃な湿地は「あき」や「あきつ」と呼ばれていた。【地名でわかるオモシロ日本史 武光誠 角川ソフィア文庫】

# 室町時代の安芸国の守護は甲斐の武田氏の分家。

# 安芸国の守護は、山名細川今川と変わった。

# 安芸: 「あき」には、湿地や豊穣の意味がある。【出典

■ 安芸郡: 安芸郡は広島湾に面した平野にあり、古代には低湿地だという。水辺の肥沃な湿地は「あき」「あきつ」と呼ばれた。【地名でわかるオモシロ日本史 武光誠 角川ソフィア文庫】


# 続日本紀文武天皇2年(698年): 9月28日: 近江国に金青(こんじょう・紺青とも書き、青色の顔料)を献上させた。伊勢国には、朱沙(すさ)・雄黄(ゆうおう)、常陸・備前・伊予・日向の四国には朱沙(すさ)、安芸・長門の二国には金青(こんじょう)・緑青(ろくしょう)、豊後国には真朱(まそほ)を献上させた。(いずれも顔料)

# 続日本紀大宝元年(701年): 8月21日: 参河(みかわ)・遠江・相模・近江・信濃・越前・佐度・但馬・伯耆・出雲・備前・安芸・周防・長門・紀伊・讃岐・伊予の十七カ国にイナゴの発生があり、大風が吹き人民の家屋が損壊し、秋の収穫に被害が出た。

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