大分県内の「木下」の名字の詳細
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■ 木下(きのした): 大分県の木下家 

# 大分県の木下家: 日出藩(3万石)主。桓武平氏を称す。豊臣秀吉の妻の実家で杉原姓を称していたが秀吉に仕え、先祖の姓の木下に改姓した。【家紋:】明治維新には子爵

・ 豊後国日出藩(1万5千石)の木下家は、豊臣秀吉の妻の「おね」の実家。北の政所(お寧)の弟で、妻は細川忠興の妹。

・ 豊後日出(ひじ)藩主。木下家定の三男の延俊が豊臣秀吉に仕えて、播磨国三木郡で2万石を賜った。関ヶ原の合戦では東軍に属し、小野木重次の丹波福知山城を落城させ、1601年に豊後日出藩3万石を立てた。1642年に遺領のうち俊治は2万5000石を継承した。明治時代には子爵。【出典

# 大分県の木下家: 交代寄合日出藩主の分家。

・ 交代寄合。1642年に木下延俊の四男の延次(延由)が、父の遺領のうち豊後国速見郡で5000石を分知されて立石(杵築市山香町立石)に住み、交代寄合となった。同家には、延次は豊臣秀頼の遺児の国松という言い伝えがある。【出典】 

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