大分県内の「大給」の名字の詳細
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■ 大給(おぎゅう): 大分県の大給家 

# 大分県の大給家: 豊後府内(大分市)藩主。大給松平家庶流。大給家乗の家老を務めていた近正が、1590年の関東入国に際して、御家人となって上野三ノ倉(群馬県高崎市倉渕町)で5500石を領したのが祖。1600年の関ヶ原の合戦では近正は伏見城を守って戦死。子の一生が下野板橋藩1万石を立てた。以後1617年に三河西尾2万石、1621年に丹波亀山、1634年に豊後亀川、1635年に豊後中津留を経て、1658年に忠昭のときに豊後府内藩2万2200石に転じた。幕末に、近説は寺社奉行若年寄を歴任。1868年には大給氏と改称した。明治時代には子爵。【出典

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