大分県内の「広瀬」の名字の詳細 | |
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■ 広瀬(ひろせ): 大分県の広瀬家
# 大分県の広瀬家: 豊後国日田(大分県日田市)の豪商で甲斐国の出と言われる。
・ 豊後国日田郡豆田(大分県日田市)の豪商。武田信玄の家臣だった広瀬郷左衛門の弟の正直の子孫という。1673年に初代の貞昌が博多から豊後国日田郡豆田魚町に転じ、堺屋を号する商人となったのが祖。後に博多屋と改称し、質屋の他、蝋・油・紙などを扱った。三代久兵衛の頃から豪商となり、久兵衛は桃之と号して俳人としても活躍した。四代平八の時に府内藩御用達となる一方、月化と号した俳人であるなど、以後一族は俳人としても知られた。咸宜園(かんぎえん)を開いた淡窓は五代目三郎衛門の長男だが、家を継がなかったため、弟の久兵衛が六代目を継ぎ、宇佐・国東の新田を開発。福岡藩・府内藩・対馬藩の財政改革にも参画した。久兵衛の弟の謙吉(旭荘)は咸宜園二代目塾主を務める傍ら、藩主の大給近説の教育係を務め、以後は大坂で塾を開いた。【出典】
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