徳島県内の「三木」の名字の詳細 | |
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■ 三木(みき): 徳島県の三木家
# 徳島県の三木家: 阿波藍の豪商。播磨の三木城主だった別所長治の叔父の治之の子の規治が祖。1580年に豊臣秀吉によって三木城が落城した際に、規治が阿波国中喜来浦(徳島県松茂町)に逃れて帰農し、以後三木氏を称した。1674年に二代目吉太夫が60歳で藍商を創業。三木家中興の祖とされる七代目吉太夫の時に藍商専業となり、1789年には江戸にも支店を出して、藍屋与吉郎と名乗り豪商となった。九代目与吉郎が1852年に江戸に積み出した藍玉は5080俵にも及び最大の藍商であった。【出典】
# 阿波国麻植郡の国衆。阿波忌部氏の末裔という。阿波国麻植郡三木名(徳島県美馬市木屋平)の山岳領主で、鎌倉時代後期から活躍した。南北朝時代には阿波国の山岳武士の頭領として南朝に属し、室町時代には和泉細川氏の被官だった。天正13年(1585年)の蜂須賀家政の阿波入国に際しては、三木義村は蜂須賀家政方について、一揆の鎮圧につとめた。江戸時代には帰農して庄屋をつとめた。【出典】
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