蜂須賀家の人々
参考資料・文献 利用上の注意
名字の由来のTop 地名の由来のTop
名字と地名のMenu 歴史的人物のTop
スポンサーリンク
スポンサーリンク

■ 蜂須賀家政(はちすかいえまさ): 1559−1639年。蜂須賀正勝の長男。父とともに豊臣秀吉に仕えた。四国攻めののちに、父の代わりに阿波国を賜った。秀吉の死後は反三成派に属した。関ヶ原の合戦では息子の至鎮(よししげ)が東軍について領地は安堵された。【出典

■ 蜂須賀重喜(はちすかしげよし): 阿波国徳島藩の十代藩主。出羽国久保田藩佐竹家の分家の秋田新田藩2万石の佐竹義道の四男で、1754年に徳島藩に養子にいった。

■ 蜂須賀正勝(はちすかまさかつ)出典

・ 1526−1586年。享年61歳(病死)。

・ 出身地: 尾張国

・ 肩書き: 武将。

・ 家族: 父:蜂須賀正利。

・ 家紋: 丸に左卍紋

・ 通称は「小六」で、蜂須賀小六として有名。矢作川(愛知県)の橋で日吉丸(のちの豊臣秀吉)に出会ったという逸話が有名。秀吉に従って、墨俣城の築城に成功し、浅井氏朝倉氏への攻撃や一向一揆との戦いで功を成した。浅井氏が滅亡した後には、秀吉が長浜城(滋賀県)を賜ると、領内に所領を賜った。その後も、播磨国の三木城や鳥取城、備中高松城攻め、そして小牧・長久手の合戦と、秀吉とともに参陣した。四国攻めの後には阿波国を賜ったが、秀吉の側近で居ることを希望して、息子の家政に譲った。

# 蜂須賀正勝(はちすかまさかつ): 丸に左卍紋。通称は小六。秀吉は少年時代に、秀吉の父が正勝の父の配下だったため、10歳年上の正勝に仕えていたと伝わる。秀吉には謀臣として仕え、中国討伐でも対毛利戦でその力を発揮した。1585年に秀吉から阿波国一国を与えられたが、正勝はこれを息子に譲って辞退した。【出典


Help】 「苗字」「階位」「幼名」「通称」「諱」「尊称」「号」「氏」「姓」などはこちらをご覧ください。   

統計表示