滋賀県内の「本多」の名字の詳細
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■ 本多(ほんだ): 滋賀県の本多家

# 滋賀県の本多家: 膳所藩主本多家は、伊奈本多氏の末裔酒井忠次の二男の康俊が天正8年(1580年)に本多忠次の養子となり、天正17年に家督を継いだ。江戸時代には三河西尾2万石、後に近江膳所3万石。 

・ 膳所藩(滋賀県大津市)藩主。酒井忠次の二男の康俊が1580年に本多忠次の養子となって1589年に家を継ぎ、翌年の徳川家康の関東入国に際しては、下総国匝瑳郡小篠郷(千葉県匝瑳市)で5000石を領したのが祖。関ヶ原の合戦後、1601年に三河西尾2万石を経て、1617年に近江国膳所3万石で入封した。俊次は西尾三河城3万5000石、1636年に伊勢亀山5万石を経て、1651年に近江膳所7万石に戻った。1679年に康慶は弟の忠恒に1万石を分知し、以後6万石となった。明治時代には子爵。【出典】 

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