静岡県内の「榊原」の名字の詳細 | |
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■ 榊原(さかきばら): 静岡県の榊原家
# 清和源氏流の榊原氏は源義国の後裔。仁木右京大夫義長の後裔の次郎七郎利長が、伊勢国壱志郡榊原に住んで榊原氏を称した。利長の孫の七郎右衛門清長は伊勢国から三河国に転じて松平親忠に仕え、子の七郎右衛門長政から代々徳川氏に仕えた。長政の子の孫十郎清政は1607年に駿河国の久能城の守備を命ぜられ、子の大内記照久は徳川家康に仕え久能(静岡市)に住んで久能榊原氏の祖となり、東照宮造営後に神主になった。1632年に、照久は田方郡寺家村(韮山町)の八幡神社を築造し、元和2年に北条(韮山町)の館で家康の夢のお告げがあり、清久を照久に改名した。この子孫は、久能山の守護役をつとめ1800石を知行した。清政の弟の式部少輔康政は徳川四天王の一人。【出典】
# 藤原氏族の井伊氏流の榊原氏は、奥山行道の後裔の、篠瀬作右衛門吉次の次男の作大夫直政が榊原氏を称した。【出典】
# 静岡県の榊原家: 旗本。久能山東照宮の宮番。越後高田藩主の榊原家の一族。
・ 交代寄合。徳川四天王の一人の榊原康政の兄の清政は徳川家康の長男の信康に仕えていたが、信康が謀反の疑いで自刃した際に謹慎した。後に許されて久能山城に拠った。子の照久は2代将軍秀忠から久能山東照宮の宮番を任ぜられ、以後代々務めた。【出典】
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