静岡県内の「藤原」の名字の詳細
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■ 県内133位: 藤原(ふじわら、ふじはら)

# 藤原姓は、初祖の中臣鎌足が大和国藤原の里で誕生したのにちなんだ名字で、藤原一族の繁栄に伴って各地に繁栄し、官職名、国名、地名と結びついて数多くの姓氏を生んだが、江戸時代末期までは公称の際には原姓藤原を冠称した。藤姓といわれる藤のつく姓だけでも、全国一位の鈴木姓(今の定説は佐藤だね)をはるかにしのぎ、日本一の大姓となる。【出典

# 藤原朝臣黒麻呂は784年に遠江守、790年に駿河守になったが、静岡県内の藤原姓の源流は北家と南家があり、繁栄した藤原南家の祖は藤原為憲という。為憲は父の維幾に従って天慶の乱の時に、平貞盛藤原秀郷と共に平将門討伐に功を成し、遠江国、伊豆国などの群賊征伐征夷大将軍藤原忠文に従って来国した。その功績で遠江守になり、孫の時信は駿河守となって駿河国・遠江国・伊豆国の三国内に荘園を持った。【出典

# 伊豆国には741年に藤原良継が、平安時代には藤原相通、実政、国長、近信、隆長など多くの藤原氏が配流された。【出典

# 遠江国掛川遠江国掛川には平安時代末期に、伏見冠者の藤原廣綱が住んだと言われ、南北朝時代に井伊谷(引佐町)の奥山城主に藤原朝康がある。井伊谷の藤原氏北家流で正暦年間九条家の家臣の藤原共資が遠江守に任ぜられて来住し、その養子の共保の子の代からは井伊氏を称した。【出典

# 周智郡小股京丸村(春野町)の藤原氏は、昔都の戦乱をさけて京丸村や川根地域に来住した藤原左衛門佐の後裔といわれ、慶長年間に京都にちなんで京丸と名付けたといい、子孫は代々藤原左衛佐を称した。【出典】 

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