福島県内の「阿部」の名字の詳細
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■ 県内11位: 阿部(あべ): 福島県の阿部家

# 福島県の阿部家: 棚倉藩主寛永12年に下野国壬生2万5千石。文政6年に陸奥国白河10万石。慶応2年に陸奥国棚倉(福島県東白川郡棚倉町)10万石。三河国の出で、徳川家の譜代の家臣。出典

・ 棚倉藩主。忠吉は徳川家康に仕え、大坂の陣の後に大番頭となって5000石を領した。その子の忠秋は7歳で三代将軍家光の小姓となり、1626年には1万石を加増されて諸侯に列した。1633年に老中となり、1635年に下野国壬生2万5000石。1639年に武蔵国忍5万石を経て、1663年には8万石に加増。忠秋は老中を31年勤めた。三代の正武は五代将軍綱吉に仕えて老中となり、1694年に10万石に加増。1823年に正権は陸奥国白河10万石に転じた。正外も老中となり、兵庫開港を進めたが罷免され、1866年に跡を継いだ正静は棚倉10万石に転封。奥羽列藩同盟に参加したことから、いったんは改易されたが、1868年に棚倉6万石で再興。明治時代には子爵。【出典

# 福島県の阿部家: 信夫郡笹木野村(福島県福島市笹木野)の旧家。新田氏の家臣の河村秀敦が祖で、後に陸奥国信夫郡で帰農、三代目が阿部氏改称した。江戸時代には栢場村・笹木野村・大谷地村・土湯村を開拓した。代々、紀右衛門を称したことから、通称「あべき」と呼ばれた。明治維新後には、地主の傍ら、養蚕や金融業を営んだ。【出典】 

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