「梅」の家紋の解説
参考資料・文献 利用上の注意
名字の由来のTop 地名の由来のTop
名字と地名のMenu 家紋のはなし

スポンサーリンク
スポンサーリンク

■ 「梅」の家紋の解説: 「梅」の家紋図

# 「梅紋」の分布

# 梅(うめ)
・ 梅は奈良時代の中頃に大陸から渡来し、貴族の間で愛好された。「万葉集」では、萩に次いで二番目に多く詠まれた植物である。梅(ウメ)の古名は「好文木(おうぶんぼく)」というが、これは「文を好めば則ち梅開き、学を廃すれば則ち梅開かず」という中国の故事に因むとも言われる。また梅は菅原道真が好んだとされ、のちに道真が学問の神として崇められると、学問を象徴する花となった。【出典

# 加賀梅鉢(かがうめばち)
・ 加賀藩前田家の家紋。前田氏菅原氏族を称したが、本来は梅紋を用いた斎藤氏の一族であろう。本家が用いた「加賀梅鉢紋」は五枚の花弁と花弁の間に標(しるべ)として剣をつけた。俗説では、前田家においては武断派は主家の家紋の剣を伸ばして描き、文治派は剣を短く描いたという。「梅鉢紋」の名称は、梅紋の花弁が雅楽の太鼓に用いる丸い玉のついた撥(ばち)のように描かれることに因むという。【出典

# 星梅鉢(ほしうめばち)紋: 五つの正円の「星」の中心に、やや小さな「星」を描いて梅の花を表現した。菅原道真の怨霊を鎮めるために創建された京都市の北野天満宮の神紋である。菅原道真が十一歳の時に作った「月夜見梅花」という漢詩には「梅花は照れる星に似たり」と詠われており、この紋を連想させる。【出典

# 梅は八世紀頃に中国から渡来した植物。春の到来を告げる花として貴族の間で愛され、紋として使用されるようになった。菅原道真も梅を好んだことから太宰府天満宮では「梅の花」が、北野天満宮では「星梅鉢」と、道真を祀る神社の神紋として梅は広く使用された。【出典
・ 加賀前田梅鉢紋、葉付き三つ横見梅紋、梅鉢紋、梅の花紋、丸に向こう梅紋。

# 梅紋(うめもん)・梅鉢紋(うめばちもん): 梅を愛した菅原道真が恨みを呑んで死んだのち怨霊になった。これを鎮魂して、道真を天神として祀った。それにちなんだ信仰紋。梅は小森家柴田家福島家小倉家など。梅鉢は菅原家前田家竹尾家山田家堀家金森家深尾家佐野家などに見られる。【出典

# 梅紋: 梅と言えば菅原道真。それゆえ、菅原氏の系統で広く使用された。最も古い梅の紋様は奈良時代とされ、高野山の赤不動像に梅鉢の紋様が描かれている。【出典


# 梅紋には「梅花紋」と「梅鉢紋」がある。多くは「梅鉢紋」という。

# 梅鉢紋: 菅原道真が梅花を愛したことに由来する。梅鉢とは、太鼓のバチを花心に花形に並べたことに由来する。

# 梅の紋
・ 久松松平家: 梅鉢
・ 前田家: 梅鉢
・ 相良家: 剣梅鉢
・ 堀家: 丸に向こう梅紋
【日本人なら知っておきたい 家紋と名家のいわれ 大野敏明 実業之日本社】

・ 清水家 

家紋の図柄

統計表示