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■ 赤座直保: 越前国の今庄にいた赤座直保は織田信長や豊臣秀吉に仕え2万石を領した。関ヶ原の合戦では敦賀の領主の大谷吉継とともに西軍に属したが、小早川秀秋とともに東軍に寝返った。しかし、領地を没収され、その後加賀の前田利長に仕えた。子孫は赤座から永原に改姓し加賀藩士。【江戸の殿さま 全600家 八幡和郎 講談社】

■ 明石家さんま: 本名は杉本高文。二代目笑福亭松之助に弟子入りし、実家が水産加工業を営んでいたことから「笑福亭さんま」と命名された。後に、師匠の本名の明石徳三から「明石家」に改めた。【出典

■ 芥川龍之介(あくたがわりゅうのすけ): 辰年・辰月・辰日・辰の刻に生まれたために、「龍之介」と名づけたとされる。【出典

■ 天海祐希(あまみ ゆうき): 本名は「中野祐里(ゆり)」。姓名判断で本名の画数が強運のため、本名と同じ画数にすることにし、名は本名の「祐」と「希望」の「希」を使用した。姓はスケールの大きい「天海」にした。【出典

■ 石川啄木(いしかわ たくぼく): 本名は「一(はじめ)」。結核療養中に、キツツキの音に慰められたことから、キツツキを意味する「啄木」の号を用いるようになった。出典

■ 石原さとみ: 「ダイヤの原石」の「原石」を入れ替えて名字にし、「聡明で美しい人」から「さとみ(聡美)」とした。出典

■ 一休宗純(いっきゅうそうじゅん): 安国寺における名は、周建。その後、西金寺(さいこんじ)の謙翁宗為の弟子になり、師の名前から一字とった法名を「宗純」といった。一休は道号で、大徳寺の高僧の華叟宗曇より授かった。ある禅問答に「・・・・・ 一休み ・・・・」と、答えたことに因む。【出典

■ 宇多忠頼: 石田三成の夫人の父の宇多忠頼は、もとは豊臣秀長の家臣で大和国で1万3千石。関ヶ原の戦いに際し、佐和山城で戦死。【江戸の殿さま 全600家 八幡和郎 講談社】

■ ウド鈴木: 本名は鈴木任紀(ひでき)。芸人の夢麻呂が「体だけは大きくて何も役に立たないウドの大木だな」と言ったことに由来する。【出典

■ 大久保利通(おおくぼとしみち): 幼名は正袈裟(しょうけさ)。本名は久済。通称は正助(しょうすけ)。薩摩藩の島津久光に仕え、「一蔵(いちぞう)」の名を賜った。その後、久光の七男の新之助が元服して「久済」を名乗ったため、「済」の字を避けて「利通」とした。【出典

■ 沖田総司: 丸に木瓜紋【武将と家紋 インデックス編集部】

■ 尾崎紅葉(おざき こうよう): 本名は徳太郎。現在の東京都港区芝大門に生まれ、近くの紅葉山(もみじやま)にちなんで「紅葉」とした。【出典

■ 大佛次郎(おさらぎ じろう): 本名は野尻清彦。初めて時代小説を発表したときに住んでいたのが鎌倉市長谷の大仏の裏手だったことに由来する。また、「本物の大仏が太郎だから、謙遜して自らは次郎」とした。「おさらぎ」読みは、北条氏の一族で、この地に住むのを大仏と書いてこう読んだ、と、自ら書いている。【出典

■ オフコース: 小田和正は大学時代に建築学を専攻した。本業の傍ら、音楽活動を続けた。つまり、本業から「道を外れる」という意味で「OFF COURSE」とした。【出典

■ 甲斐庄飛騨守正親
・ 楠木正成の後裔で、河内国錦織郡奉行甲斐庄(大阪府河内長野市)をルーツとする。延宝8年(1860年)に南町奉行。【江戸の殿さま 全600家 八幡和郎 講談社】

■ かぐや姫: 南こうせつが竹藪で蚊に食われながらよく練習をしていたことから、「竹藪から生まれたバンド」ということで命名した。【出典

■ 糟屋武則: 三つ盛り左三つ巴紋。関ヶ原の戦いでは西軍に属したが、江戸時代には旗本。【武将と家紋 インデックス編集部】

■ 勝海舟(かつかいしゅう): 幼名と通称は麟太郎。諱(いみな)は義邦(よしくに)。「海舟」は雅号。佐久間象山が書いた「海舟書屋」という額が良くできたから思いついたとされる。【出典

■ 葛飾北斎(かつしか ほくさい): 本姓は川村。幼名は時太郎。中島家に養子に入って、後に「鉄蔵」に改名した。通称は「中島八右衛門」。「葛飾」は出生地の武蔵国葛飾郡に由来し、「北斎」は号で、北極星および北斗七星信仰に因む。【出典

■ 観阿弥(かんあみ)・世阿弥(ぜあみ): 観阿弥は能の基礎を作った。本名は清次(きよつぐ)。法名の「観阿弥陀仏(かんなみだぶつ)」を略した。観阿弥の息子の世阿弥の幼名は鬼夜叉(おにやしゃ)。通称は三郎。本名は元清。法名は「世阿弥陀仏」でそれを略した。【出典

■ 北島三郎(きたじま さぶろう): 本名は、大野穣(みのる)。呼びやすく親しみやすい芸名として、「北の島(北海道)生まれの三郎」に由来する。【出典

■ 北原白秋(きたはら はくしゅう): 本名は隆吉(りゅうきち)。中学時代に友人達と同人誌を発行する際に、全員「白」の下に一文字づつつけた。そしてくじ引きで「秋」の字を引き当てた。【出典

■ 北杜夫(きた もりお): 本名は斎藤宗吉。北の都の仙台に住んでいたことと、トーマス・マンが書いた「トニオ・クレーゲル」に因んで「北杜二夫(きたとにお)」と名づけようとしたが、日本人離れしているため「北杜夫」とした。【出典

■ 空海(くうかい): 弘法大師。俗名は佐伯眞魚(さえきのまお)。高知県の室戸岬の御厨人屈(みくろど)での修行中に虚空蔵菩薩の化身である明星が口に飛び込んで悟りを開いたという。そのときに目にしたのが空と海だったことから「空海」と名乗った。弘法大師は死後に醍醐天皇から贈られた諡号。仏の教えを広めて人々を救済した「弘法利生(こうぼうりしょう)」の業績による。【出典

■ 桑山重晴: 和歌山城を築いて城下町の基礎を作ったのは豊臣秀長の重臣の桑山重晴。尾張国の出で、丹羽長秀に仕えていたが、その後豊臣秀長のもとで和歌山城の城代(3万石)となった。関ヶ原の戦いでは東軍に属し、江戸時代には大名となったが後に改易。【江戸の殿さま 全600家 八幡和郎 講談社】

■ 幸田露伴(こうだ ろはん): 本名は成行(しげゆき)。電信技師として赴任した北海道の職を放棄して野宿しながら帰郷する際に、道中で詠んだ句の「里遠し、いざ露と寝ん、草枕」から、「露伴」の号を名乗るようになった。【出典

■ ゴダイゴ: 「GO(進む)」+「Die(死ぬ)」+「GO(進む)をつなげて「永久的な歩み」「不死鳥」を意味した。キーボードのミッキー吉野が「後醍醐天皇が好きだったから」と発言したこともあった。【出典

■ 小堀遠州: 小堀は近江国坂田郡小堀(滋賀県長浜市)。浅井氏に従い、その後、秀吉、秀長に仕え、関ヶ原の戦いの後、備中松山1万5千石。小堀遠州は近江国小室1万2千石に転じ、駿府城などの作事奉行をつとめ、茶道の遠州流を創設した。【江戸の殿さま 全600家 八幡和郎 講談社】

■ 堺屋太一(さかいや たいち): 本名は池口小太郎。商人だった先祖が安土桃山時代に大坂の堺から谷町に移り住んだ際の名前の「堺屋(屋号)太一」に由来する。【出典

■ 坂本龍馬(さかもと りょうま): 本名は直陰、後に直柔(なおなり)。通称が龍馬。生まれる前の晩に、母親が龍の夢を、父親が馬の夢を見たなどの説がある。【出典

■ 佐々木蔵之介: 本名は佐々木秀明。実家は京都の造り酒屋の佐々木酒造。父が実家の職業と大石内蔵助の名前をとって命名した。【出典

■ 十返舎一九(じっぺんしゃいっく): 本名は重田貞一。幼名は市九。香道を学んでいたため、「十返しの香(十度焚いても香りを失わない)」を「十返舎」として使用した。「一九」は幼名の「市九」による。【出典

■ 司馬遼太郎(しば りょうたろう): 本名は福田定一(ていいち): 「中国の歴史書の史記を書いた司馬遷に遼(はる)かに及ばない」。または「司馬遷より遼(はる)かに後に生まれた」が由来と言える。【出典
※ 現代の人なのに由来に諸説あるのか?

■ 島崎藤村(しまざき とうそん): 本名は春樹。「藤村」の由来としては、ゞ気┿劼虜監J綮辧覆垢韻魁砲卜をしたが、彼女には婚約者がいたため、漂泊の旅に出る。旅先で浮かんだ芭蕉の句の「草臥(くさびれ)て宿かる此(ころ)や藤の花」に因む。彼女の姓から「藤」の字を引用したなど諸説有る。【出典

■ ジョン万次郎: 漁の最中にナンパしてアメリカの捕鯨船に助けられた。そのためアメリカ人からは、助けた船に因んで「ジョン・マン」と呼ばれた。帰国後は中浜万次郎を名乗った。【出典

■ 雪舟(せっしゅう): 「雪舟」は号。諱(いみな)は「等楊(とうよう)。中国の元の時代の禅僧の楚石梵(そせきぼんき)」による墨蹟(墨書された書で「雪舟」の二文字が書いてあった)を気に入ったことに由来する。【出典

■ 瀬戸内寂聴(せとうち じゃくちょう): 三谷家に生まれ、晴美と名づけられた。父親が瀬戸内家の養子になり瀬戸内姓へ。「三谷晴美」の名で少女小説を書き、「瀬戸内晴美」として作家の地位を確立。その後出家して法名の「寂聴」を名乗る。作家で僧侶の今東光の法名の「春聴(しゅんちょう)」より一字貰ったもので、「出離者は寂なるか梵音を聴く(出家したものは煩悩の炎を鎮めて静かになった心で森羅万象の全ての快い音を聴く)」という意味。【出典

■ 四条隆謌(たかうた): 中陰四つ片喰紋。幕末の尊皇攘夷派の公家で、長州に匿われた七卿落ちの1人。【武将と家紋 インデックス編集部】

■ 高杉晋作: 丸に割り菱紋【武将と家紋 インデックス編集部】

■ 竹久夢二(たけひさ ゆめじ): 本名は茂次郎(もじろう)。師事した洋画家の藤島武二(たけじ)の「武二」を「ムニ」と読み、「夢二」の字をあてた。【出典

■ 種田山頭火(たねだ さんとうか): 本名は正一(しょういち)。「山頭火」は六十干支に五行を配して三十種に分類した運命判断の方法の「納音(なっちん)」に因んだ。ただし、実際の生年によるものではなく、音で選んだ。【出典

■ タモリ: 本名は森田一義。早稲田大学の在学中に、モダン・ジャズ研究会に在籍し、トランペットを担当した。しかし3日でクビになり、マネージャー兼司会を担当した。この時期のニックネームが「タモリ」で、「森田」のバンドマン読み(隠語を作るときの逆さ読み)による。【出典

■ 壇蜜(だんみつ): 本名は齋藤支静加(しずか)。親しかった母の友人が突然亡くなり、そのショックから人の死に携わる仕事に就きたいと葬儀関係に興味を持った。芸名は仏教を基に自分で考えたもので、「壇」は「仏壇」、「密」は「お供え物」を意味している。【出典

■ 手塚治虫(てづか おさむ): 明治節(明治天皇の誕生日)に生まれたことから「治(おさむ)」と名づけられた。小学生時代からの昆虫好きで、昆虫の中でも名前が似ている「オサムシ」にちなんで、友人が「手塚オサムシ」と呼ぶようになった。サインには「治虫」と書き、のちに「オサム」読みにした。【出典

■ 所ジョージ: 本名は芳賀隆之。宇崎竜童が、「外国でも通用するような名前がいいだろう」と、自分の本名(木村修史)から連想した「ジョージ」と、所の出身地の所沢の「所」をとった。所ジョージは宇崎竜童の付き人だった。【出典

■ 直木三十五(なおき さんじゅうご): 直木賞で有名。本名は植村宗一(しゅういち)。「直木」は「植」の字を分割したもの。三十五は年齢に由来する。31歳で執筆活動を開始した際は「三十一」を名前にし、誕生日毎に名前を変えていたが、「三十五」で固定した。その由来は、ー紘活動に専念する決心をしたのが35歳だった。◆峪綾住亜廚蓮屬気鵑兇鵝廚汎匹瓩董◆峪綾熟察廚蓮峪綾熟桟彳┐欧襪貿,ず」と茶化されるから。5特售欧ら忠告され。などの説がある。【出典

■ 長束正家: 秀吉の五奉行の一人の長束正家は経理に明るく、丹羽長秀に仕えて、その後近江国水口12万石を領していたが、関ヶ原の合戦で西軍に属し、自害した。【江戸の殿さま 全600家 八幡和郎 講談社】

■ 夏目漱石(なつめ そうせき): 庚申(かのえさる)の日に生まれ、名前に金偏の字を入れないと大泥棒になるという迷信があって、「金之助」と名づけられた。「漱石」は晋の詩人の孫楚(そんそ)が、「枕石漱流(ちんせきそりゅう・石に枕して流れに漱ぐ)」を、「漱石枕流(そうせきちんりゅう・石に漱ぎ、流れに枕す)」と間違えたが認めなかったという故事に由来する。漱石枕流には「頑固者」「負けず嫌い」の意味がある。【出典

■ 夏目雅子(なつめ まさこ): 旧制は小達(おだて)。カネボウ化粧品のCMで脚光を浴びた。「夏の目玉商品」になることから、「小達」から「夏目」に改めた。【出典

■ 樋口一葉(ひぐちいちよう): 本名は奈津。一枚の葦の葉に乗ってインドから中国に渡り、座禅のしすぎで手足を失った達磨大師の故事と、貧乏で「おあし(お金)」が無いことをひっかけて「一葉」という雅号とした。【出典

■ 二葉亭四迷(ふたばてい しめい): 本名は長谷川辰之助。坪内逍遙に刺激されて、小説の浮雲を書いたが、自信が無く、かつお金が欲しいために坪内の本名(雄蔵)名義で発表したことを恥じて、自分自身をののしった言葉の「くたばってしまえ」をもじった。【出典

■ 本願寺顕如: 五三桐紋。一向宗の教祖。正室は如春尼(三条公頼の娘)【武将と家紋 インデックス編集部】

■ 蒔田(まいた)広孝: 七曜紋。備中浅尾藩主。【武将と家紋 インデックス編集部】

■ 正岡子規(まさおかしき): 本名は常規(つねのり)。「子規」はホトトギスの別名で、冥途を往来する鳥とも言われている。血を吐くようにけたたましく鳴くホトトギスに、肺結核で喀血する自分をダブらせて「子規」と名乗った。【出典

■ 三島由紀夫(みしま ゆきお): 本名は平松公威(きみたけ)。中学生でデビューするため、本名を臥せることにした。編集会議が伊豆の修善寺温泉で開かれ、乗換駅の三島とそこから見える雪の富士山にちなんで命名した。【出典

■ みのもんた: 本名は御法川法男(みのりかわ のりお)。芸名の名付け親は放送作家の野末陳平。名字を略して「みの」と呼ばれており、申年生まれで、当時の人気競走馬の「モンタサン」にあやかった。【出典

■ 村上龍(むらかみ りゅう): 本名は村上龍(竜)之助。芥川龍之介の名前と「すけ」の字しか違わないので、申し訳ないという思いから「龍」の一文字に縮めたという。また、中里介山の「大菩薩峠」の主人公の「机竜之助」にも因む。【出典

■ 森 鷗外(もり おうがい): 本名は林太郎。「鷗外」の由来は諸説有る。東京の千住にあった、「鷗(かもめ)の渡し」に因むという説が有力。「鷗の渡し」は吉原を意味し、その他に鷗外が住んでいた千住を意味する。【出典

■ 山岡鉄舟: 丸に桔梗紋【武将と家紋 インデックス編集部】

■ 横井小楠: 丸に三つ鱗紋。熊本藩主出身の儒学者。桓武平氏の出。【武将と家紋 インデックス編集部】

■ 吉田松陰(よしだ しょういん): 杉家の生まれで、通称は「寅次郎」といった。叔父の吉田家の養子となった。「松陰」は号で、由来は不明。しかし、江戸時代後期の思想家の高山彦九郎の戒名の「松陰以白居士」からとったとする説や、生地の松本村に因んだという説がある。別号の「二十一回猛士」は、生家の「杉」の字を分解すると「十」「八」「三」で、「二十一」となり、また「吉田」を分解すると「二十一」になる。【出典
※ 吉田松陰の家紋

■ 頼山陽(らいさんよう): 「頼」は中国とは関係無い。「頼兼屋(よりかねや)」という染物屋の屋号に由来する。幼名は久太郎、本名は襄(のぼる)。「山陽」は号で、大坂生まれの広島育ちであることに由来する。【出典


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