赤座直保 | |
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■ 赤座直保(かざなおやす): 「赤座」の名字。?ー1606年。織田信長に仕えて、信長の死後は豊臣秀吉に従った。秀吉の小田原攻めで功をなし、関ヶ原の合戦では大谷吉継に従ったが、朽木元綱、小川祐忠らとともに小早川秀秋の離反に呼応して、大谷の部隊を攻撃した。戦後は、徳川家康にその功を認められずに改易となった。【出典】
・ 越前国の今庄にいた赤座直保は織田信長や豊臣秀吉に仕え2万石を領した。関ヶ原の合戦では敦賀の領主の大谷吉継とともに西軍に属したが、小早川秀秋とともに東軍に寝返った。しかし、領地を没収され、その後加賀の前田利長に仕えた。子孫は赤座から永原に改姓し加賀藩士。【江戸の殿さま 全600家 八幡和郎 講談社】
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