岡山藩
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■ 岡山藩(おかやまはん): 岡山県岡山市

・ 「岡山」の地名

・ 池田家31万5千石・外様

・ 池田左近衛少将

・ 備前国って岡山藩だけだったのか。

・ 戦国時代には宇喜多家の城下町。宇喜多秀家関ヶ原の合戦で西軍に属し、35歳で八丈島に流された。八丈島には13人の家族や家臣とともに転じ、正室が前田利家の娘の豪姫だったので、加賀藩が幕末まで資金援助した。

・ 江戸時代初期の岡山藩の家老熊沢蕃山のモットーは「士(サムライ)よ土に帰れ」。「生産者の苦しみを知らなければ、ほんとうの行政はできない」という意味。熊沢蕃山は京都の出身で、父親は野尻と言った。熊沢蕃山は1645年に岡山藩の池田光政に30石で召しかかえられた。1650年に32歳の熊沢蕃山は家老として3千石に抜擢された。家老になった蕃山は、侍を現場に出した。蕃山が作ったのが岡山港の堤防で、明治時代に宇部港や佐渡の港湾整備を行った服部長七をも驚かせた。【名家老列伝 組織を動かした男たち 童門冬二 PHP文庫】

・ 池田光政

# 岡山藩士: 伊木家 ・ 犬丸家 ・ 乾家 ・ 荻野家 ・ 高畠家 ・ 土倉家 ・ 中島家 ・ 花房家 ・ 日置家 ・ 姫井家 ・ 和田家

# 岡山藩(おかやまはん): 備前国。岡山城。池田家。外様大名。31万5000石。控間:大広間。格:国主。位階:従四位上。上屋敷:千代田区丸の内。関ヶ原の合戦の後に、小早川秀秋が立藩したが早世。姫路藩主の池田家の庶流の池田忠継が入封した。その後、池田家の嫡流の池田光政が因幡鳥取から入封。以後、池田家が十代続いた。【出典

■ 岡山新田(生坂)藩(岡山県倉敷市

・ 池田家1万5千石・外様・陣屋。

・ 1672年に岡山藩から分知。 

# 生坂藩(いくさかはん): 岡山藩の支藩。備中国。池田家。外様大名。1万5000石。寛文12年に、岡山藩主の池田光政の子の輝録が立藩。明治3年に生坂藩に改称。【出典


【注意】転封などがあるため、藩主や石高には変化があります。ここでは一例を掲載しています。

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