彦根藩
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■ 彦根藩(滋賀県彦根市)

・ 「彦根」の地名

# 井伊家35万石: ただ、5万石は幕府からの預かり地だったかな?それと、安政の大獄の処分をうけて石高を減らされたんだったかな。 それを根に持ってか、幕末には官軍側についたようだ。

# 井伊掃部頭

# 彦根藩の領地は、現在の滋賀県にあったわけだが、それ以外にも東京の世田谷区や栃木県の佐野周辺にもあった。世田谷の豪徳寺井伊家の菩提寺?ゆるきゃらの「ひこにゃん」は、この豪徳寺の生まれと言われる。

# 徳川家が甲斐や信濃を勢力下においた後、井伊直政には武田の旧臣117人の与力を預けた。飯富(おぶ)兵部少輔虎昌、山県三郎兵衛尉昌景兄弟が率いた「赤備え」が有名。【徳川家臣団の謎  菊地浩之 角川選書】

# 彦根藩士の出身者
・ 陸軍大将の中村覚(男爵
・ 海軍大将の三須宗太郎(男爵)
・ 大東義徹は第一次大隈内閣の司法大臣
・ 大海原尚義は富山県大参事
・ 書道家の日下部鳴鶴
・ 大正期の歌人の木俣修は筆頭家老の木俣家の末裔
・ 日本生命の創業家の久世家は彦根藩の御用商人。
・ ジャーナリストの田原聡一朗は彦根藩の足軽の子孫。

# 彦根藩の長野主膳は井伊直弼時代の実質的な家老(学問の師)。しかし、桜田門外の変後に、藩主にろくでもない考えを吹きこんだとして斬首。【名家老列伝 組織を動かした男たち 童門冬二 PHP文庫】

# 彦根藩
・ 表高20万石、実高20万石。
・ 人口: 不明。
・ 家臣団(寛政7年): 1000石以上34人、300石以上60人、50石以上480人など。
【歴史人 2018.08.No92 江戸三百藩「仕事と暮らし」】

# 彦根藩の飛び地
・ 下野国安蘇郡佐野領 17693石(佐野領には佐野奉行がおり、世田谷代官は佐野奉行の配下)
・ 武蔵国世田谷領 2306石
【世田谷代官が見た幕末の江戸 安藤優一郎 角川SSC新書】

# 彦根藩邸
・ 上屋敷 桜田屋敷
・ 中屋敷 赤坂喰違屋敷
・ 下屋敷 八丁堀など

# 彦根藩士: 青木家 ・ 飯島家 ・ 庵原家 ・ 印具家 ・ 宇津木家 ・ 岡本家 ・ 小野田家 ・ 河手家 ・ 木俣家 ・ 西郷家 ・ 土田家 ・ 中野家 ・ 長野家 ・ 貫名家 ・ 羽黒家 ・ 弘世家 ・ 三浦家 ・ 三須家 ・ 横地家 ・ 脇家

# 「おんな城主 直虎」にみる名字と地名

# 井伊直弼 ・ 井伊直政

# 彦根藩(ひこねはん): 近江国。彦根城。井伊家。譜代大名。30万石。控間:溜間。格:城主。位階:従四位上。上屋敷:千代田区永田町。慶長11年(1606年)に、佐和山藩主の井伊直勝が藩庁を彦根に移して立藩。元和元年(1615年)、徳川家康の意向で、直勝は上野国安中藩主になって、弟の直孝の子孫が箱根藩を継いで、廃藩置県へ。【出典

■ 彦根新田藩

■ 世田谷代官が見た幕末の江戸 安藤優一郎 角川SSC新書


【注意】転封などがあるため、藩主や石高には変化があります。ここでは一例を掲載しています。

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