「仁王」の名字の由来 | |
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■ 仁王(におう)
【2014/06/30:改編】
# 23878位
# 貴少姓。
# 全国に約300人【全国分布】
# 鹿児島県伊佐郡菱刈町の菱刈仁王地区をルーツとする。
# 静岡県静岡市に仁王山がある。
# 仁王(におう): 二王とも書く。現在の岩手県盛岡市本町通り周辺で盛岡市立仁王小学校の名を残す。南北朝時代に仁王郷があった。
# 仁王(におう): 愛知県豊田市坂上町仁王沢連?巴川支流仁王川流域、炮烙山・六所山西麓に位置する。北部の天下峰は全山花崗岩の巨岩に覆われ、遠く濃尾平野まで眺望できる景勝地で、山腹に88体の仏が祀られ、別名弘法山ともいう。天下峰の名は、徳川氏の祖松平親氏がこの峰に登って天下平定を祈願したことによると伝えられ、親氏は山麓に天下山安全寺を創建して山門に仁王像を奉納したという。地名はこれにちなむと伝えられる。【出典】
# 仁王村(にんのうむら): 福島県大沼郡会津美里町吉田仁王。江戸時代から明治時代初頭にかけてあった村名。
・ 村東の丘を船岡山といい、尾岐郷の総鎮守稲荷神社がある。同社の使が二岐の尾を有する白狐であったことが郷名の起こりであると伝えられている。水利は三貫堰を利用。村東に宮川に架した高橋がある。尾岐郷の中心的集落である。寺院は天台宗仁王寺。明治8年小山村ほか2か村と合併して吉田村となる。【出典】
# 仁王町(におうまち): 江戸時代から昭和にかけて岡山県岡山市にあった町名。城下の南部、外堀の外に位置する。東は常盤町、南は高砂町、西は正覚寺と武家地田町内の袋町、北は蓮昌寺。宇喜多直家の移城のとき、出石町の地にあった下出石町を当地へ移し、さらに蓮昌寺も森下の地から当地へ移転。のち下出石村を再移転させ、跡地を境内として仁王門を建てたため、はじめ仁王堂町と称した。延宝4年には仁王町とある。【出典】
# 「仁」のつく名字
# 「王」のつく名字
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