「犬伏」の地名の由来
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■ 犬伏(いぬぶし): 栃木県佐野市犬伏

・ 古くは犬臥とも書いた。足尾山地の南縁に位置する。大部分は関東ローム層で覆われた犬伏台地で、台地の北辺を鷲川が東西に流れ、数条の開析谷が南東に走る。地名の由来は、山伏がヒヒを退治した際、連れていた犬が戦いで死んだので葬ったことによるとされる。【出典

なお、栃木県佐野市のサイトをみると諸説あるようです。

■ 犬伏の別れ

時は、関ヶ原の戦いを間近に控えた1600年のある日。
徳川家康上杉家討伐のために、諸大名を従えて、下野国小山に集結していた。
そして、信濃国上田の真田家の真田昌幸と信繁は上田から、そして信幸は上野国沼田から小山に駆けつけるべく集合したのが、下野国犬伏。さて、ここで集合写真を撮ったかは定かではない。
そのときに、上方で石田三成が蜂起したとの知らせが届く。
三人は犬伏の離れ家に閉じこもって長い密議をしたという。その密議の内容は「家康」と「三成」のどちらにつくかという話。信幸の正室は本多忠勝の娘、信繁の正室は石田三成と懇意の大谷吉継の娘。それから、昌幸の正室の妹は石田三成の正室。
三人はどちらにつくか、激しい議論を長時間行ったという。あまりに長引くので、家臣の河原綱家が様子をうかがいに行くと、昌幸は「誰も来るなと申したのに、なぜに来るのだ」と怒り、履いていた下駄を投げつけ、綱家の前歯がかけてしまったという。この内容は、綱家の子孫で信濃国松代藩家老を務めた河原綱徳の覚え書き(綱徳日記)に記されているそうだ。
このとき、昌幸が綱家に、「ごめん、ごめん、早く歯医者に行って治療してきて貰え」と言ったかは定かではない。
しかし、結局、昌幸と信繁の親子は西軍につき、信幸が東軍についたのは歴史に記されている通り。まぁ、どっちが勝っても真田家は残るってことで。これを「犬伏の別れ」という。

【参考資料】
# 犬伏駅: 今は廃駅になった両毛線の駅だが、1日の乗降人数は10人ほどであったという。そのためか、後に廃駅となりそのホームは複線化の線路となったという。
※ さすが関東地方。両毛線って複線なんだ。

■ 犬伏(いぬぶせ): 新潟県十日町市犬伏
・ 渋海川の蛇行で削られた段丘地帯。地名は、松苧権現が当地についた時従う犬が倒れ伏したことにちなむという。【出典

■ 犬伏(いぬぶし): 徳島県板野郡板野町犬伏
・ 地名については背後にある小高い象山が犬の伏せた形に似ていることにちなむという。【出典

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