「大曽根」の地名の由来
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■ 大曽根(おおそね): 山形県山形市上反田

・ 大曽禰荘(おおそねのしょう): 平安時代後期から南北朝期にかけて出羽国最上郡(今の村山郡)にみられた荘園名。鎌倉期、当荘の地頭となったのは大曽禰氏である。源頼朝の側近、安達藤九郎盛長の二男時長に始まる大曽禰氏は安達氏本宗と手を携えて鎌倉政界に重きをなした。時長が大曽禰を称したのは、父盛長から譲られた大曽禰荘にちなんだものとも思われる。柏倉明源寺境内には安達盛長の創建と伝える毘沙門堂が現存する。この堂はもと寺山の毘沙門山真妙寺にあり、真妙寺の住持は安達氏一門の人びとが代々継承したという。時長―長泰―長経―宗長(尊卑分脈)と続いた大曽禰氏の繁栄も弘安8年に終わりを告げた。弘安8年11月霜月騒動によって安達氏は滅亡し、大曽禰宗長もまた安達泰盛らとともに討死にするにいたった。当荘の地頭職は没収され、おそらくは北条氏に宛行われることになったものと思われる。【出典

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