水戸黄門と山形の意外な関係
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■ 130803: 水戸黄門と山形の意外な関係【山形オタク限定(^o^)】

水戸黄門と言えば漫遊記で有名ですが、各シリーズの始まりの舞台は水戸藩内の黄門様の隠居所という設定が多いですね。ここから黄門様は助さんと格さんをお供に旅立つわけだが、もちろん密かに旅立つわけで、それを知ったお守り役で水戸藩の重臣の山野辺兵庫が地団駄踏むというのが定番。

さて、この山野辺兵庫の山野辺という名字のルーツは山形県。出羽国最上郡山野辺(山形県東村山郡山辺町)をルーツとし、清和源氏最上氏の出で、最上義光の四男の義忠が山野辺氏を称したとされる。義忠は最上家改易時にその責任の一端を問われ、備前岡山に流罪となった。その後1633年に徳川家光の命により水戸家に預けられ水戸藩家老となった。年齢的に言えば、水戸黄門に出てくる山野辺兵庫は義忠の子なのかなぁ?

そこで問題なのが「山辺」と「山野辺」の表記。地名は山辺だったが、名字は転字して「山野辺」となった可能性もなきにしもあらずだが、どうも現在「山辺」と表記される地名は、かつては「山野辺」とかかれていたようだ。

ここまで読んで、山形県人なら「おや?」と思うことがあるでしょう。思わなければ山形オンチ。少なくとも山形市周辺の方ならわからないはずは無い。そうです、山辺が出羽国最上郡山野辺となっていることです。これは現在地名にも書いたように正真正銘今の山辺町で、今の最上郡に昔「山野辺」という地名があったわけではありません。

話は長くなるが、「最上郡」の歴史をみると、

・ 続日本紀によると、最上郡は712年に置賜郡とともに陸奥国から出羽国に割譲され、歴史上初めて「最上郡」が文献上に表れた。716年に再度陸奥国として表れているが、後に出羽国に移管。886年に最上郡が二分割され、「北は村山郡」「南は最上郡」となったが、太閤検地のころ、南北2郡の名称が入れ替えられ、北が最上郡、南が村山郡となる。

このように、中世以前は村山郡と最上郡って位置が逆転していたようです。これは、いくら「山形オタク」でも知らない人が多いのではないでしょうか。

そもそも、最上家斯波氏の出で、南北朝時代に出羽国最上郡に移り住んで最上氏を名乗ったのが始まりで、最上郡に住んだにしては本拠地は山形というのもおかしいなぁと思って調べたら判明。

ところで、最上の語源は諸説あるようですが、最上とは「最中(まんなか)の上」を意味する他、アイヌ語の「モ・カムイ」は「聖なる神」を意味するらしいです。

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