岡山県内の「蒔田」の名字の詳細
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■ 蒔田(まいた): 岡山県の蒔田家

# 岡山県の蒔田家: 浅尾藩主(岡山県総社市)。豊臣秀頼の家臣であった蒔田広定が、関ケ原の合戦の後に大名となり、幕末に浅尾藩主となった。【出典】  

・ 岡山県の蒔田(まいた)家: 浅尾藩(岡山県総社市)藩主。陸奥国津軽郡蒔田(青森県五所川原市金木町)をルーツとし、藤原南家の出。広光は豊臣秀吉に仕えて、伊勢雲津(三重県津市)で1万石を領した。二男の広定は関ヶ原の合戦では西軍に属し、伊勢安濃津城を攻めたため戦後高野山に蟄居したが、浅野幸長のとりなしで許された。その際、備中国で1万石余りを与えられて、いったん大名になったが、二代の定正が弟長広に3000石(三須蒔田家)を分知して交代寄合となった。1863年に広孝が幕府に高直しを願い出て認められ、1万石となって陣屋を備中井手から浅尾に移して浅尾藩を立藩した。明治時代には子爵。現在は「まきた」と読む。【出典】  

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