兵庫県内の「桜井」の名字の詳細 | |
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■ 県内160位: 桜井(さくらい): 兵庫県の桜井家
・ 尼崎藩主。桜井松平家の一族。1590年の徳川家康の関東入国の際に家広が武蔵国松山1万石を領したのが祖。1601年に忠頼は遠江浜松5万石を領したが、1609年にいったん没収。1622年に忠重が上総国佐貫1万5000石で再興し、1633年に駿河国田中2万5000石、1635年に遠江国掛川4万石、1639年に信濃国飯山4万石、1706年に再び掛川4万石を経て、1711年に忠喬のときに尼崎4万石に入封した。明治維新後松平氏から桜井氏に復姓し、子爵。【出典】
# 尼崎藩主の桜井家は松平氏の一族。松平玄蕃助親房が桜井城(愛知県安城市桜井町)城主の小浦喜平次を追って桜井城主となり、その跡を松平長親の三男の信定が継いで桜井松平家の祖となった。以来、代々桜井城に拠り、家次のときに徳川家康に従った。【出典】
# 1601年に、忠頼は遠江浜松5万石を領したが、1609年に一旦没収。1622年に忠重が上総佐貫1万5000石で再興し、以後各地を転々して、1711年に忠喬のときに尼崎4万石に入封した。1769年に忠告のときに、西宮・兵庫・灘などを公収され、播磨西部に代地を与えられた。明治維新後には桜井氏を称し、子爵。【出典】
# 兵庫県内では、明石市を中心に姫路市から阪神地区にかけてまとまってみられる。【出典】
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