静岡県内の「清水・志水」の名字の詳細 | |
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# 清水姓は全国18位。静岡県内では31位。三ヶ日町では2位。【出典】
# 静岡県内の清水の地名は全国ランク2位。【出典】
# 清和源氏流は美濃国の山県先生国政の子の頼兼が祖。【出典】
# 伊豆の清水氏は志水とも書かれ、代々相模国の北条氏の重臣で、伊豆衆の筆頭として北条水軍の総大将をつとめた。北条氏康は下田領主の朝比奈知明の後嗣がなかったので、清水小太郎を下田領主として、その子孫は下田城主を世襲した。その子の太郎左衛門正次は北条新三郎に属し、1569年に蒲原城で討ち死にし、その子の上野介康英は1590年に下田の鵜島城を守り、豊臣方の九鬼水軍と善戦したが開城し、のちに上河津(かわづまち)の三養院で剃髪したという。一族に妻良(南伊豆町)の淡路守がいた。この清水氏の祖は、太閤記には伯耆国から出たとあるが、基氏伝帖に1337年に氏島城主(下田市)に志水長門守をのせているからこの後裔か。【出典】
# 庵原郡茂島、葛沢村(清水市・現静岡市)の清水氏は、北条家の家臣の清水太郎左衛門(正次か?)の裔孫といい、北条氏の滅亡に際して、一族は分離し後にこの地に隠住したという。【出典】
# 沼津の清水氏の祖も清水正次と伝えられ、北条氏の滅亡後には、正次の子の助左衛門盛次が1594年に沼津に移住し、子孫は助左衛門を名乗り代々沼津宿で本陣を務めた。【出典】
# 木曽氏流の清水氏は三河国保美郷に住んで初め上松(あげまつ)氏を称したが、のちに清水氏に改称し、清水政晴、政吉父子は今川義元に属したが後に徳川家康に仕えた。また1574年に、高天神城(大東町)に籠城した清水善兵衛は開城後、大須賀康高に属し、元和9年に平野村(掛川市)を開発した源左衛門は大坂浪人という。【出典】
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