静岡県内の「内藤」の名字の詳細 | |
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■ 県内87位: 内藤(ないとう)
# 内藤氏は、藤原秀郷の後裔の行俊が内舎人となって内藤検校といい、後裔が官名と姓を一つずつとって内藤氏を称したという。【出典】
# 内藤重清は三河国碧海郡上野村に住み、その子の義清の時から松平氏に仕えた。秦姓という貴平村(浜松市)八幡神社の神主家の祖の内藤次郎大夫朝重は1454年に岩永寺を建立し、今川義元の家臣の内藤甚左衛門正重の子の甚九郎正吉は遠江国に住んで、後に徳川家康に仕えた。徳川家康の譜代の家臣の内藤三左衛門信成は、1590年に韮山城主、1601年から5年間は駿府城主、その孫の紀伊守弌信(かずのぶ)は宝永2年から7年間田中城(藤枝市)城主。【出典】
# 宇刈村(袋井市)の内藤氏は宇刈七騎の一つに数えられ、家康の家臣の信成の後裔で、その子の新左衛門信昌が馬谷村(袋井市)に隠遁したといい、子孫は代々庄屋を務めた。【出典】
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